モノだけでなく、
何を着るか、どこで食べるか、誰と繋がるか・・・
コトさえも。
すべての選択が、実は人生という大きな舞台での演劇だとしたら、
今視ている世界すべてが、
「私という」仮面
誰(私)かが書いた台本
観客(私2・他者)
舞台設営者
照明
黒子
・・・・
などの環境(制約)で構成され、
意図していると思っているのだが
実際は意図的に突き動かされているのではないか?
実のところ、選択肢なんてものは存在していないのでは?
-何か・誰かと比較すれば選択できることは自由で幸福なことではあるが-
遠い世界から眺めるとそれは、
その螺旋から抜け出すのは困難であると
感じてしまうような舞台に
各々、人は孤独に立っている。
言葉で表現しなくても、突如、不安が襲ってくる時があるのは
誰しもがこれを感じているからなのだろう。
様々な制約の中、もがき、時にわらい、人は生きている。
そして、その難題を超えて、自己を実現していく。
-だけど、それはまた新たな舞台に立ったということだけにすぎないんでしょ?-
かつての先人が創った言語は的を射ている。
人の夢は「儚い」のだ。
