一年前のあの日もしかすれば救えた命があったかもしれない。。

亡くなられた方の中には多くのろう者の方がいたことを知らなかった。

津波の放送があっても耳が聞こえない人には何も伝わらない、テレビでアナウンスしても字幕がなければ伝わらない。

少し寄り添えばわかることが、わかっていなかったことに気づく。

人はその立場にならないとわからないんだとつくづく思う。

災害時にろう者の方が集まる避難所はなく、何もわからない中健常者以上の不安な思いで夜を明かしていた話を聞き、胸が苦しくなった。

食事をもらいに並ぶの1つにしても整理券がいることをわからないまま並んで食事をもらえなかったと。。

アナウンスが聞こえないのだから誰か教えてあげる人はいなかったのだろうか…でもわたしもその場にいたら自分たちのことで手一杯だったと思う。

でも手話に触れたいま、同じ状況になったとしたら、ろう者の方に寄り添える者になりたいと思う。

たとえ流暢にできなかったとしても。指文字が少しでも、単語が少しだけでも…それがわかる人がいるとわかれば安心できると思う。

だからいまはたいしたことはできないけど、手話を続けたいと思う。

始めてよかったと今日心からそうおもった☆



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