お盆前ということで、
今日は朝からお墓掃除に行ってきました♪
徒歩5分の道のりをてくてく歩き、
途中で氏神様にもご挨拶。
今日も晴れ晴れ♪
ありがとうございます
墓地は、「お大師さん(山?)」と呼ばれている
小さな山のふもとにあるんですが、
ひととおり掃除を済ませて、
今日は久しぶりに登ってみることにしました。
この山は、道の途中とちゅうに、
小さな石仏がしずまっています。
四国八十八か所の札所の
ご本尊が彫られた石仏で、
手軽にお遍路ができるようになってるんです。
お墓と石仏のコラボ…
子供の頃はもう怖くて怖くて、
ひとりでなんて絶対登りたくなかったな~。
今は山道も舗装されて、
うっそうと茂っていた木々も
あちこち伐採されました。
登りやすくはなったけど、
風情がなくなった氣がしてちょっと残念 かな?
↑第二十一番 太龍寺の石仏
札所の順番を追ってると、
4年前の今頃、
そう、まさに今頃やん
灼熱の四国の山中を延々と歩いた記憶が
やっぱり甦ってきますね
山頂に着くと、修行姿のお大師さんが
お迎えしてくださいます。
~南無大師遍照金剛~
さて
その横には国旗掲揚台、そしてさらに隣に
「翼の塔」と刻まれた慰霊碑があります。
(写真はありません。
何となく、撮影できずにいます)
昭和44年に建立されたようですが、
その存在を私がはっきりと意識したのは、
多分ここ数年のことだと思います。
太平洋戦争末期、訓練中に殉死した
8名の特攻隊員のための慰霊碑なのですが、
なぜか8名とも地元の方ではありません。
福井や福岡、名古屋、鳥取…
全員が別々の故郷を持つ方々です。
この方々が所属した基地は、
宮崎にあったようです。
一見、全く縁もゆかりもなさそうなこの土地に、
この場所に、
なぜ慰霊碑が建てられたのかな…?
ここにくるといつも不思議に思っていました。
今日、ふと、
塔を背にしてあたりを眺めてたら、
遠く正面の山の上に、
若人の広場の慰霊塔が見えることに気付きました。
学徒出陣で戦没した全国の若者たちを
追悼した塔なんです。
なぜこの塔が、南あわじに建てられたのか??
(昔は資料館も併設されていました)
昔、「203高地」や「連合艦隊」など、
戦争映画を数多く手がけた
東宝のプロデューサーさんが、
「あの場所にもちゃんと意味があるんだよ」
と仰ってたのを思い出しました。
その意味は結局、聞けずじまいですが…。
かたや、
お大師さんの「翼の塔」に追悼されたのは、
18歳~24歳の方々、年の頃も同じ若者です。
建立された時期もほぼ同じ。
「なぜ?」は分からずじまいだけれど、
何となく呼応しているような、
繋がっているような氣がしました。
そして、そんな記憶や事実の上に、
私達は生かされているのだと
重く感じざるをえませんでした。
重くといっても、嫌な感じではないです。
生きていることの重みが増した感じです。
責任もってしっかりと生きて、
次の世代に繋いでいきます。
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