マインドタイプカウンセラーの
えつ子さんのブログを、
よく読ませていただいています。
えつ子さんの飾りのない、
混じりけのない素直な言葉が、
とても心地よいのです。
そして時々、
「あぁ、あれって、
こういうことやったんやなぁ」と
意識化していなかった大切なことに、
氣づかせてもくれます。
先日のえつ子さんのブログ
この中に
「言葉を悪者にしてきた。
言葉自体を敵視してきた。
言葉なんてなくなればいいのに、と言葉のせいにしてきた。」
という一節を見つけて、
まさに私が18、19歳の頃に
思ってたことそのまんまだったので、
あの頃の自分を思い出したんです。
当時の私は、
言葉にすっかり絶望していました。
そして、
「いっそのこと、言葉が全く通じない
遠い遠い世界に行きたい」
って思ってたんです。
今思えば、言葉に対する逆ギレも
いいところなんですけどね💦
まぁそれ以外にもいろいろあり、
この世に生きてる感覚も
めちゃめちゃ希薄で、
精神的にかなり、
不安定な時期でもありました。
まぁそこは置いといて。
話せば話すほど、相手との距離が
遠くなる一方だと感じていました。
言葉をたくさん使えば使うほど、
孤独感が増すばかりだったんです。
でもね、今日
えつ子さんのブログを読んでいて、
ふと、
相手との距離が離れる一方だったのは、
言葉の限界のせいではなかったんだって
ストンと腑に落ちたんです。
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思えばあの頃、私は、
自分を分かってもらいたい一心で、
ただそのためだけに、
言葉を使っていたんです。
相手がその言葉を向けられて
どう感じるだろう、とか、
受け手のことを全く考えてませんでした。
分かってほしいと言うわりに、
独りよがりの言葉をぶつけるばかりで、
「相手に分かってもらえそうな言葉を選ぶ」
ということを全くしてなかったんです。
例えて言えば、
「キャッチボールしようよ」って言いながら
相手がキャッチできそうにない
剛速球を投げ込んでたんですよね
当時の私に、そんな心の余裕はなかった
と言えば、確かにそうなんですが、
次々投げ込まれる剛速球を、それでも必死に
キャッチしようとしてくれた人に
感謝するどころか、
「なんで捕ってくれないの!?(怒)」なんて
ま~、ワガママにも
ほどがありますよね(苦笑)
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言葉は、見えるモノ見えないモノ全てを
実体化するものです。
全てを定義するものです。
イメージとしては、
木の丸太から切り出された
彫刻作品のようなものだと思っています。
湧き上がる感情も、言語化しなければ
胸のざわつきや痛み、
ワクワクした「感じ」とか、
身体的な感覚の変化が、
次々起こるだけですよね。
そんな、見えない
形の定まらないエネルギーさえ、
こうやって言葉にすることで、
自覚することができるし、
自分以外の誰かに伝えることも出来ます。
今さら当たり前ではありますが、
言葉は伝える「ツール」
なんですよね。
言葉の向こうには必ず誰かが、
受け取ってほしいと思う誰かがいます。
受け取ってもらいたかったら、
受け取ってもらえそうな言葉を
選べばいい。
そして何より、希望を抱けるのは
言葉を選ぶ能力は、磨くことができる
ここなんですよね。
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あぁ、言葉に絶望なんて
する必要なかったんだと。
言葉を使う時、
…それがたとえ、
自分を分かってもらいたいがためであっても
フォーカスすべき対象は自分ではなく、
言葉を受け取ってくれる相手なんだと。
その意識を持つ限り、
きっと私たちの言葉は、
あらゆる場面で、
私たちの人間関係を
幸せにしてくれるはずです。
えつ子さんのこの記事を読み終えて
残ったのは、
言葉の力って素敵だなぁ
言葉にこだわるのは
やっぱやめられないわっていう、
嬉しい氣持ちでした。
言葉には、無限の可能性があります。
その可能性をどこまで引き出し、
そして、どう活かしていくのかは、
ひとえに、
使い手である私たち次第です。
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