4年前のリブログ記事です🌸
亡き母も写真好き(笑)
4歳の私にポーズを撮らせてる
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150529/09/cyebitann/ec/6e/j/o0800060013321125845.jpg?caw=800)
母も記念日には、写真館で撮ってたようで
私も、娘もやはり写真好き(^_-)☆遺伝だね♪
ここからは、思い出のエピソード![下差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/526.png)
![下差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/526.png)
私は、ひとりっ子で育ちましたが
二歳上の姉がいたらしい…
風邪から肺炎を起こし夜のうちに
病院に行けば助かったのを
父が酒を飲んでいて、明日でいいと
父が酒を飲んでいて、明日でいいと
言ったため 死なせてしまった
その哀しみから 夫婦喧嘩が絶え間なく
私が生まれた時 母は、子を亡くした
トラウマから この子だけは守ると決心して
離婚した。私が生まれて3ヶ月で沖縄へ渡る
沖縄には奄美からの出稼ぎが多く 母の姉や
弟たちがいたので心強かったのだろう
私、7歳まで沖縄で育ちました(^^)
沖縄の小学校に入学してたけど
ここから先は、奄美のばあちゃんに
あづけられる事になった。転校生です
その頃は、パスポートの時代なので、
出稼ぎの母は 時々沢山のお土産を
持って帰ってきます。内容はあまり
覚えてないけど、想像すると
インスタントコーヒー。チョコレート
ポークチョップ缶など…だったと思う
今でも、人気のお土産ですから![カナヘイハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/limited/011.png)
![カナヘイハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/limited/011.png)
その繰り返しで4年生になった時
やっと本当に帰って来ました
母の居ない暮らしに慣れすぎて
母の居ない暮らしに慣れすぎて
今でも忘れない出来事が…
母の帰省で集まった親戚の子供たちに
御菓子を配る…みんな有り難うと言って
頭下げる。 そして私の手にも![ピンクマカロン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/265.png)
![チョコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/268.png)
![ピンクマカロン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/265.png)
![チョコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/268.png)
その時 みんなと同じように
私も 有り難うと言って頭下げたのだ
まるで他人みたいに… その時 きっと
母の顔が 苦笑いしていたと思う
そっと私を抱き締めたのだ 。離れて4年
その時のことは 記憶に残ってる
そのシーンは今でも ドラマのように
よみがえってくるのだ…
母と暮らしている夢を見る
日常生活の平和なシーンです。
母はいつも側にいる そんな気が。
毎朝、天国にいる父、母、姉に
手を合わせて 挨拶致します
今日も元気に目覚めました
ありがとうございます…とネ![お願い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/517.png)
![お願い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/517.png)