讀賣新聞によると1609年(慶長14年)の薩摩による琉球侵攻から今年で400年。「日中両属」「幕藩対制の中の異国」と言われる近世琉球の位置づけをとらえ直そうという出版やシンポジウムが相次いでいる。日中両大国に翻弄されながらも、「両属」であることを強みに、したたかに生き抜いた小国の姿である。薩摩藩主島津家久は、朝鮮出兵の軍役や、日本と中国・明との戦後交渉の仲介、徳川幕府への聘礼(挨拶)などを琉球王国が行わないことを理由に、1609年3月に兵3000で奄美諸島および沖縄本島を攻略、首里城を占拠して尚寧王を捕虜とした。これによって琉球は薩摩藩の支配下にはいる。南海日日新聞社・琉球新聞社合同企画の『薩摩侵攻400年』によると、1609(慶長十四)年3月4日、薩摩の軍勢が山川を出港した。総勢三千人余り。軍船百艘余り。薩摩軍は瞬く間に奄美の島々を制圧。十五世紀ごろから続いた「那覇世」は終わり、「大和世」が始まる。