「耳を疑う」という言葉がある。
日本語では、信じがたいことを聞いたときに使う慣用句だ。
でも、若い頃にオーストラリアで暮らし、オートバイ屋で働いていた僕にとって、
この言葉はもっと文字どおりに、もっと切実な意味を持っていた。
それは――自分の耳が、自分に疑われるという感覚だった。
ある日、ハーレーのホイールベアリングレースを交換する作業があり、
その方法を同僚の整備士が教えてくれた。
ハーレーに使われているのは、日本車のようなボールベアリングではなく、
**テーパーローラーベアリング(円すいころベアリング)**だ。
そしてそのレースは、日本車のように引っ掛ける爪も段差もなく、
普通の工具では外せない構造になっていた。
「これ、どうやって外すの?」
僕がそう聞くと、同僚はさらりと答えた。
「TIGで一周溶接するんだ。そうすれば縮んでスッと外れるよ。」
TIG(ティグ)溶接は、金属の溶接に使う高精度な方法。
英語としては理解できた。
でも――本当にそんなことするのか?と、僕は自分の耳を疑った。
だって、溶接って“くっつける”ためのものじゃないのか?
“外す”ために溶接するなんて、常識的に考えて逆だろう――。
そう思いながらも、彼の作業を見ていた。
すると彼はTIGを手に取り、レースの内側に沿って一周溶接ビードを入れた。
そして冷めるのを少し待ったあと――何の苦労もなく、そのレースをスッと引き抜いたのだ。
驚いた。
理由はこうだ。
溶接によって局所的に金属が加熱されると、溶接された部分が膨張し、
その後、冷却されると収縮する。
この収縮によってレース全体がわずかに縮み、圧入されていたホイールとの間に
ごくわずかな隙間ができて、簡単に抜けるようになるのだ。
つまり通常であったら困る現象である溶接歪みを利用するのだ。
耳を疑ったのは、今思えば完全に僕の勘違いだった。
でも、その“信じがたい言葉”の中にこそ、知らなかった世界があった。
「耳を疑う」とは、他人の言葉を疑うことではなく、
自分自身の理解力や先入観を疑う瞬間のことかもしれない。
オーストラリアでのあの時間、
僕は何度も自分の耳を疑った。
でもそのたびに、世界の広さと、自分の狭さを知れた気がする。
そして――
あのベアリングレースがスッと抜けた瞬間、
僕は心の中でそっと、こうつぶやいた。
「…耳よ、疑ってごめん。」