オーストラリアで暮らしていた頃、現地のバイクショップで働いていた。
オージーたちは豪快で陽気で、そしてとにかくストレートだ。
ある日、そんな彼らにこう聞かれた。「なあ、“loose c*nt”って日本語でなんて言うんだ?」
なかなか強烈な単語。とっさに僕は「ゆるい…ま●こ?」と答えた。でも、なんかしっくりこない。意味は通じるけど、日本語としての響きが弱い。
少し考えたら適切な日本語が頭に浮かんだ。「ガバガバま●こ」。これだ。語感、リズム、破壊力。すべてが完璧だった。
この言葉を聞いたオージーたちは、すぐに気に入って「ガバガバま●こ!ガバガバま●こ!!」と連呼し始めた。でも彼らは爆笑していたわけじゃない。ニヤリと笑ってはいたが、テンションはあくまで“ちょっと面白い外国語を覚えた”くらいのノリだった。だからこそ――僕にはそれがたまらなく面白かった。
外国人の口から、拙い日本語で「ガバガバま●こ」。真顔で繰り返すその光景があまりにシュールで、笑いが止まらなかった。涙を流しながら笑っていたのは、自分だけだったと思う。
もうひとつ思い出すのが、フィリピン人の友人とのやり取りだ。日本語が上手な彼に「ナンパできるの?」と聞いたら、「できるよ、見せようか?」とニヤリ。そして言った。「お姉さん、きれいですね。だから、私とホテル行くか?」。“だから”の論理展開がもう絶妙すぎて、またも自分だけが爆笑した。
こういう自然に生まれるズレの面白さに比べて、テレビで見たボビー・オロゴンの“下手な日本語芸”はだんだん演出くさく感じられた。本当に面白い「拙い日本語」は、笑わせようとしていない。
英語のジョークでも笑ったことはある。でも、心の底から突き上げるような笑いは――あの「ガバガバま●こ大合唱」で初めて味わった。自分だけが爆笑しているという異様な状況だったからこそ、余計に記憶に残っている。
やっぱり、母国語の笑いって、心に響く。どれだけ異国に馴染んでも、深いところで笑えるのは、日本語だったのかもしれない。
この記事には一部センシティブな言葉を伏せ字で掲載しています。実際の出来事や表現を忠実に伝えるために使用しましたが、不快に感じられた方がいたらご容赦ください。