今日は、彼女の愛犬の命日だった。

 

彼女にとってその子は、ただのペットじゃなく、家族そのものだった。

大切な時間を一緒に過ごしてきて、今も庭に咲く花や、季節ごとの果実とともに、命の記憶が残っている。

 

そんな日だったから、僕は思った。

「何かしてあげられることはないかな」と。

たとえば、あの子の写真や思い出を丁寧にまとめて、小さなメモリアルブックみたいなものにして渡す。

そうしたら、彼女は涙ぐんで喜んでくれるかもしれない。

そんな光景を想像して、心が少し熱くなった。

 

……けれど、そのあとすぐに、こうも思った。

 

それって本当に彼女のため?

それとも、泣いてくれる姿を見て「いいことしたな」って思いたい自分がいるだけじゃないか?

 

彼女を想う気持ちは本物のつもりだ。

だけどその中に、自分の感動欲しさや自己満足が混じっていたら──

それって結局、送り手のエゴなんじゃないか。

 

それなら、僕が今できることは、

彼女がその子のことを話したくなったときに、ただ静かに聞いてあげられることなんじゃないか。

思い出を急かすんじゃなくて、心の中で自然に湧いてきた話を、にこやかに受けとめる。

そういう存在でいられたら、きっとそれが一番の支えになるんじゃないかって、思った。

 

感動させる人じゃなくて、

安心させる人でいたい。

 

サプライズじゃなくて、静かな肯定。

涙よりも、微笑み。

ドラマよりも、日常。

 

そういう関係のほうが、きっとずっと、あたたかい。

 

──なんてことを、自分で思って、

「俺、今めっちゃいいこと言ってない?」って、正直ちょっと思った。

 

でもその“いいこと言ってる自分”を彼女に直接アピールしたいと思った時点で、

もうすでに、かっこ悪さMAX。

 

だから、ここでこっそり吐き出します。

 

このブログは私にとって井戸です。