子供の頃、ウルトラマンを見て「変身できる」と本気で思っていた。

空を飛べるかも、スペシウム光線が出せるかも、って信じていた。

 

小学生になると、さすがにそれはないと気づく。

でも次に出てくるのは――「カメハメハなら、もしかして出せるかもしれない」。

ドラゴンボールの世界には“死ぬほど鍛えたら、あのくらい強くなれるかも”という微妙なリアリティがある。

 

さらに成長していくと、グラップラー刃牙のような“現実に近そうな強さ”に憧れを感じるようになる。

はじめの一歩を読んで、ボクシングなら努力であの世界に近づけるかもしれない、と思ったりもする。

 

だけど――

それも冷静に見れば、やはり“誇張されたフィクション”だと気づく。

 

このように、僕たちは年齢とともに少しずつ現実に近づいていく。

でもその過程で、“リアルっぽいけど実は作られた物語”に騙される危うさも生まれてくる。

 

たとえば昔の暴走族漫画やヤクザ漫画。

『美味しんぼ』のようなグルメ漫画。

最初は料理の話だったのに、だんだん政治、環境、栄養の“正しさ”を語りはじめる。

 

でもその内容は、よく見るとかなり偏っていたり、

“演出”や“思想”が混ざっていたりする。

 

スペシウム光線やカメハメハのような明らかなフィクションは笑えるけど、

“現実っぽいフィクション”の方が、かえって大人を騙してしまう。

 

そして、最近ふと思った。

 

そういう「リアルっぽいフィクション」は、

漫画やアニメの中だけじゃなく、**現実の社会の中にもあるんじゃないか?**と。

 

政治家の演説。ニュース番組。SNSの情報。

それらもまた「事実を語っている」ように見えて、

実は“誰かが描いたストーリー”だったりする。

 

感情を動かすための言葉選び。

敵と味方をはっきり分ける演出。

信じたくなる“物語”としての現実。

 

子供の頃、ヒーローのウソにワクワクしたように――

大人は今、“もっともらしい現実”にワクワクして、

時に騙されてしまっているのかもしれない。