去年、自転車でオーストラリアを旅しました。
その様子をSNSに投稿したところ、友人が「素晴らしい人生ですね」とコメントをくれました。
とても嬉しかったけれど、同時にこんなことを思いました。
じゃあその友人の人生は素晴らしくないのか? そんなことはない。
彼も身近な場所で釣りを楽しんでいて、
その投稿からは、日常の中で自分らしい時間を大切にしている様子が伝わってきます。
それは僕から見ても、とても魅力的で羨ましい人生です。
何が“素晴らしい”かは、人それぞれ違います。
やりたいこと、したいことも違えば、タイミングも違う。
結局、それぞれが“自分にとっての旅”を生きているのだと思います。
たしかに、自転車で海外を旅するという話は、
男のロマンのように聞こえるかもしれません。
「俺もやってみたいな」と思う人もいるかもしれない。
でも、それを本当に“行動に移すか”というと、なかなかそうはいかない。
それは「行動力がない」からじゃない。
本当にやりたいことではないのかもしれないし、
今はそのタイミングじゃないのかもしれない。
運命の歯車が、まだ噛み合っていないだけかもしれません。
実は僕も、「どうしても行きたい」と熱く燃えるような気持ちではなかったんです。
20代の頃にオーストラリアを旅した経験があって、
その記憶がずっと心にあって、30歳の頃にこう思いました。
「50歳になったら、もう一度オーストラリアを旅しよう」と。
そして50歳になったとき、ふと思ったんです。
「今、行くのかな?なんだか、気持ちがスッキリしてないな…」
行くのをやめようかとも思いました。
でも、そこで一つの想像が頭をよぎったんです。
──もしこのまま旅に出ずに人生が終わってしまったら、
死ぬ間際、病院のベッドの上で後悔するんじゃないか?
それだけは嫌だと思いました。
情熱に突き動かされてというより、
「後悔したくない」という思いで旅に出ることに決めました。
でも実際に準備を始めてみると──
航空券を手配し、ルートを組み、宿を調べていく中で、
だんだんとワクワクしてきて、
いつの間にか「行きたい」に変わっていったのです。
そしてここからは、ちょっと他の人に向けた言葉です。
もし、あなたにも「やりたいこと」があるなら、
完璧なタイミングなんて、たぶん来ません。
準備がすべて整って、気持ちもクリアで、「よし今だ!」なんて思える日は、おそらく訪れない。
何かしら不安があったり、心残りがあったりするものです。
それでも、「やる」と決めること。始めること。
とはいえ、もしかしたら本当はそんなにやりたくないのかもしれません。
だから理由をつけてやらないのかもしれない。
それも、まったく問題ありません。
やらなかったことで自分を責めてしまうと、心がすり減ってしまいます。
さっき僕は「病院のベッドで後悔したくない」と書きました。
でも、もし本当に行けなかったとしても、
自分の中でいろんな思いを整理して、
「行かなかったことも、自分にとっての選択だった」と思えるようにしたかったと思います。
そんなふうにして、僕は旅に出ました。
そして今でも、ふとした瞬間にその旅が蘇ることがあります。
今日、久しぶりにあの時オーストラリアで使っていたテントを開いてみました。
袋から立ち上ったあの匂いを嗅いだ瞬間、
オーストラリアの広い空と乾いた大地が、ありありと脳裏に浮かびました。
旅は終わっても、心のどこかにずっと残っていて、
ふとしたきっかけで、いつでもまた旅が始まる──そんな気がしています。