高校生たちの物語はとっても数が多い。
実際の高校生の数に比べて、とても多い。
多くの人に受け入れられているからこそ、数も自ずと多いのだろう。
でも私が高校生だった頃、私は私じゃない気がしてた。
力もなくって、学ぶことだけは少し楽しいのに、いざ結果になるとそれすら一人歩きした。
褒められたら、それは私じゃなくてだれか他の人の話であるように遠かった。
今だってあまり変わらないけれど。
高校生らの話がこんなにたくさんあって、そして見ている人も決して高校生たちだけではないらしいことも知っている。
そこに気持ちよく浸れない私は、やっぱり私じゃなくなっていたんだろうと思う。
足の先まで制服で、ちゃんとした学生だった私は、私以外のものだった。
高校生の私は今の私よりも、なにか本質的な自分自身というところから、今よりもっと他人だった。
すごく分裂的だ。
言葉にするとより際立つ。
今でさえ、私が私であるところとして社会のなかにいるとき、その私を他人のように感じてしまってだめだ。
特に外見はそうで、鏡にふとうつる私は特に他人だ。
写真で見るとぎょっとすることもある。
ちゃんと、人間の形をしていて、それもかなりしっかりしているので。
こんなの、人を騙してしまっていると思う。
動画だともっと、大変。
話していると、すごく他人だ。
いつのまにかちゃんと成人して、社会にいる私は、私からどんどん離れて知らない人になっている。
だから私を好きという人たちが好きなのは、私から離れて一人歩きしている私であって、決して私自身じゃないのだ。
ということを考えて、ナーバスになる。
馬鹿らしい。
月が丸くて青いのに、写真に撮ると青いのは空だった。

