改めて、映画『ゆれる』をもう一度見ました

ちゃんと見ていたつもりでも、あれ?こんな事言ってたっけ?こんなシーンあった?と、かなり見逃している部分が多く、最初見終わった時は「真実」はどっちか全く分からず、頭の中に“?”がいっぱい

吊り橋は正に兄弟二人を象徴していたようですね。
渡る猛に渡れない稔。
智恵子の事件をきっかけに、心の奥底にしまい込んでいた稔の本音がまず顔を出し、それに触発されて猛の感情も揺さぶられる。そして、かろうじて保っていた兄弟としての建前は脆くも崩れ去り、記憶までも作り変えてしまったと言う事なのでしょうか?
この作品はかなりの想像力を要するように思われます。
猛と智恵子のかつての関係、猛が智恵子と寝た理由、稔の智恵子への思い、猛と智恵子が関係を持った事を稔は果たして気付いていたのか…等は明確ではなく、キーワード的な台詞から推測するしかないです。
捉え方、感じ方は見る側に委ねられているような感じ。
だからこそ些細な場面も見逃せない。色んな所にそれぞれの登場人物の『ゆれる』感情が散りばめられています。
これは「さぁ、見るぞ
」と、ある程度意気込んで見るタイプの映画だと改めて実感しました。一語一句、一場面とも逃さないようがっちり集中して見なければすぐに置いて行かれます。
全てが話の流れの一端を担っており、全てが重要な意味を持っている。
凄く繊細で脆く儚い人間の心模様を軸にしているので、ワタシみたいな単細胞には、一度見ただけでは理解は難しいのかもしれないと思いました。
さて、もう一丁、自分にも解けない謎…『ゆれる』に再チャレした理由…。
『クワイエットルーム…』も『茶の味』も理解不能だったのは同じなのに、これらは理解不能のまま放置です。
『ゆれる』にはコメディ要素はゼロだったからかなぁ…?理解出来ないのが悔しかった?(笑)
自分でも分からん。
感情とはそう言うもんだ。
なんつって~

(笑´∀`)