長女が生まれてから

自分よりも子どもにかけるものが増えた。




お金も時間も全てにおいて

子ども主体。



初めての育児は

本当に手探りで

周りの先輩ママや

ネットや本の情報を読み、


世間がいう

「良いお母さん」に

必死になろうとしてた。



育児書やネットには

「赤ちゃんとはこういうもの」

「お母さんはこう関わるもの」

的なものがたくさん載ってた。




そこから自分の考えが
外れてると気がついたら
軌道修正。



みんなから
「良いお母さん」と
思われたくて必死だった。




誰かが
「こうした方が良い」と言えば
わたしってダメな母親なんだな...と
反省して自分を責めてたし



我が子にも申し訳ない気持ちで
いっぱいだった。



当時のわたしからしたら
義母や周りの先輩ママは
絶対的存在で
新米ママのわたしが
間違ってるんだとしか
思えなかった。



それがそもそもの勘違いだったんだ....



義母が育児について
「こうしてみたら?」と言った時

私は
義母はわたしを否定し
命令されたと受け取っていた。



でも義母は
「(わたしの時は)こうしてたわ」
くらいの伝え方だったのではないか。
と思う。


わたしは何をやっても
周りから「認められない」と思っていて

周りの人を「敵」認定してたから



何か言われると
いつも
解釈がおかしくなっていた。



人を信頼していなかったから....



あさぎさんに出会い
人を信じること
全ての行動は愛である
ということを知った。



わたしの解釈では
否定されたことも全ては
その人からしたら
愛がある行動だった。



そんなことない!と
最初は思ったけど....



実際に昔あった出来事
自分にとっては辛い出来事を
親と話して、当時を一緒に振り返ってみた。



そうしたら
親は
愛情からしてくれた行動だった
ということを
知った時には
驚愕した....



愛情は目に見えないからこそ
受け取るときに
エラーが起こる....

愛情に形があるとしたら

ハート❤︎も
ダイヤ♦︎も
スペード♠︎も
クラブ♣︎も
たくさんの形がある。



例えば
ハートの形でしか
愛を受け止めることができないわたしは


相手がダイヤの形で愛を送っても
形が違うから
気がつかないし、
受け取りたくない!みたいな
エラーが起こる。



このエラーが厄介だ。


相手は一生懸命送っても
わたしは気がつかずに受け取れない。


なんで送ってくれないの?!
となる。



わたしが一生懸命に送っても
相手は気がつかずに受け取れない。


なんで受け取ってくれないの?!
となる。



愛情表現には
たくさんの形があること。


自分を知る
相手を知る。



多様性を認める。



これを地道にやっていく。


そして、わたしはこういう考えだよ
あなたはどう?
と確認し合う。


大切な人であればあるほど
この確認作業は重要だ。



長く一緒にいても
わからないことなんて
ある。



察して欲しい、を手放して
伝え合う。


そして、
わたしはわたし、
わたしとあなたは別物。


違っていて当然。
受け入れるのではなく、受け止める。



そうやって
一歩一歩腑に落としていくと
愛のエラーは無くなると思う。


そして、他人軸ではなく
自分軸で生きること。


自分はどうしたいの?
本当にそうしたいの?
自分に正直に
素直に生きていこう。