社会の分業化と社会不安の関連性 | 犯罪大国からこんにちわ。

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犯罪学、犯罪心理学とを学ぶため、犯罪大国アメリカに渡り、日本に戻って社会学の中に無理やりねじ込んで防犯を社会学的に研究している、しがない院生のページ。

留学こぼれ話や犯罪がらみのコメントに絞ろうと思っています。

ヨロシクです。

社会の分業化が進みすぎたために、人々は自分の役割分担以外の責務は負わないようになった。その為、例えば防犯に関しては、すべて警察がすべきことと思われている。近年になって社会不安と警察に対する不信が高くなってきているのは、警察の不祥事発覚や検挙率低下などの報道だけが原因ではなく、警察にまかせきりで大丈夫という分業的考えが隅々まで染み込んだ世代が大半を占めるようになったことと、時を同じくして犯罪率上昇や凶悪化といった報道の加熱が合致し、相乗効果を産み出した為、予想を上回る範囲で拡大・持続されそれが定着した為だと考えられる。

 

この過度の分業化による弊害は多岐にわたることは明らかで、教育分野の例では、子供の子育てに関して家庭で行われるべきなのは子供を育てるために必要な金銭を稼ぐ親と、世話をする親だけで、世話といっても生理的・身体的世話がメインとなり、道徳的・社会的教育を含む精神的世話は教育分野の責務であると考える保護者が増えてきているのではないだろうか?またこういった考えを持つ親は、平行して子供の学力と子供の情操発達の関連性を理解してない場合が多く、それ故教育機関に対する大きすぎる期待(この期待とはポジティブなものではなく、最低限なされるべきであるというネガティブな期待)を抱くため教育機関に対する批判も大きくなると考えられる(最近問題化しているモンスターペアレントなど)。

 

調べてみないとわからないが、戦後すぐから昭和にかけてなどの一昔前と言われる時代には、人々はまだ社会的に分化されきっておらず、どこかしら「自分のことは何事も自分でしなくてはならない」という考えを持っていたのではないだろうか?特に戦後から十数年などは戦後の混乱がまだ収まりきっておらず、不完全な政府、政策、社会規制など全てを信用して他人任せにできる時代ではなかっただろう。だからこそ犯罪が横行しようといかに猟奇的な犯罪が増えようと、社会的不安や警察不信が表立って現れる、または取りざたされることがなかったのではないだろうか?

 

こういった議論はいろいろな分野で行われているが、その中で地域力強化といってかつての隣組の復活や監視社会へのシフトを推す意見も耳にする。しかし近代化、国際化が進んだ現在の日本では、その両方は結局保守的イデオロギーにすぎず、真の解決策ではないように思う。

じゃあ何が解決策なんだといわれると、「今考えているところです!」と答えるしかないのだけれど・・・。

 

久しぶりに書いたら、かなり堅くなってしまった><;