人間、時には“覚悟”が必要だ。
勇気のいる事だが、肝を据えるには不可欠だ。
思うに“覚悟”には大きな「まじない」が隠れているようだ。
効果は人それぞれであるが、くよくよするよりずっといい。
あれは我家が今の住まいに越してきた早々の事だ。
ここはいわゆる「プチニュータウン」と呼ばれる所である。
新築だけが立ち並び、一つのブロックを作っている。
入居時期も殆ど同じだ。
町内の班もこのブロックで新たに作られ、古くからの住人が誰一人いない。
多少の不安はあったが、その方が住み易すいと判断した。
班長は一番初めに越してきた方が初代となり、一年交代で右回りだ。
あの日は、そんなルールを決める初めての顔合わせだった。
なんだかドキドキである。
いったいどんな方々がいるのか、不安と期待が入り乱れた。
班長宅には、ほぼ全員が集まった。
みな女性ばかりである。
若い方もいれば年配の方もいる。第一印象はとても良いものだった。
まずは自己紹介をし、後に町内行事やゴミ問題などを語り合いルールを決めた。
どの内容もスムーズだった。
ところが、事件はそんな新鮮な空気の中で勃発したのだ。
あれは私の自己紹介が終わってすぐの事だった。
遅れて到着した50代後半の奥様が開口一番言ったのだ。
なんと、なんと、ななななんと・・・。
「あれ~?ちゃとこさん(旧姓)じゃないの?」
はあ~~~~???なぬ?????
誰この人????
私に心当たりは無い。
でも私の旧姓を知っているではないか?
私の脈拍は一気に上がり、心音が数えられない速さになった。
何?何?何?
この人誰?え~~~~誰?困った。思い出せない。
う~~~どうしよう。
記憶が全く無い。
そんな時だ。
あっ!!!!!
私に恐ろしい記憶が蘇った。
思い出したくない記憶だ
すでに消滅しつつあったのものだ。
そうなのだ。
私は奥様を知っていた。
しかし出来れば思い出したく無い存在だったのだ。
私は昔、一人暮らしをしていた時期がある。
2LDKの分不相応な部屋だった。
自由を思いっきり満喫していた時代だ。
友人達と連日連夜、遊びまくり、何でも有りの毎日だった。
奥様はその時、隣に住んでいらした方だ。
まいった。実に参った。
この奥様には沢山の弱みを握られている。
当時の交際相手の事は勿論、
友人達と騒ぎ過ぎて叱られたことも何度もある。
上司の奥様に愛人の汚名をきせられ、怒鳴り込まれた時も迷惑かけた。
酔い過ぎて、部屋を間違え、奥様宅で服を脱いだ事もあるし、
奥様宅のキッチンで勝手に水を飲んで寝た事も確かある。
躓いて火災報知器を鳴らした事は2度、
迂闊にも回覧板を古新聞と一緒に捨ててしまった経験も蘇る。
羽毛の枕をベランダで叩いたら、布がさけ、
奥様宅のベランダ一面に羽が飛び散った記憶も思い出す。
学生気分が抜け切れない若き時だったとは言え・・・
米つきばったにならざろうえなかった。
あぁ~具合が悪くなったきた。
動機・息切れ・めまい・吐き気あらゆる病状が一気に溢れた。
当然のことである。
ご主人の帰宅がまちまちな奥様宅はいつも鍵をかけていない。
ましてや全てが同じ作りの建物で、
備え付け家具や備品の位置まで同じだった。
そこへもってきて私の部屋は、常に友人の誰かが訪問しており、
鍵を取り出す機会はいたって少なかった。
間違えてはいけない!と強く思うのだが、酔う度この過ちは繰り返された。
ご主人がとても良い方だったのが唯一の救いだ。
奥様はこの全てを知っているのだ。
あ~~~~終わった。
まだ越してきたばかりなのに。
一生住むかもしれない家なのに・・・
私は完全な弱みを握られた事になる。
奥様がご近所の方々に話したらどうなるのだろう?
うわさの屈辱に耐えられるだろうか?
イメージはどうなってしまうのだ?
こりゃあ~落ち込んでいる場合では無い。
どうにか回避策を考えなければならない。
だいたい当時のことを一番知られたくないのが実は夫だ。
普段完全に眠った状態の頭が、いっきにフル活動した。
あるったけのエネルギーで悪知恵を働かせた。
そして私は言った。
ずうずうしくも、ぬけぬけと
「え~~~私をご存知なのですか?」と。
そうだ。この期に及んで白をきる作戦だ。
我ながらこの白々しさには強く呆れた。
自分のふてぶてしさに絶句だった。
当然、奥様が納得するわけが無い。
しかし会議中ゆえ、同席者達の言葉でとりあえず口を閉じるしかなかった。
そこからの事はよく覚えていない。
ただお茶も飲まず早々に帰宅した事は確かだ。
動悸は益々激しくなり、頭の中がぐるぐる回った。
嘘を付いた罪の重さと、後ろめたさが私の胸を刺し続けた。
ましてや隠れた自分の腹黒さに脅え
それは耐えられないほどに膨らんだ。
そしてとうとう、私は自ら夫に告白した。
噂で耳に入るより私が打ち明けるべきだと決心したのだ。
意を決しての白状だった。
しかし夫は意外にも冷静だった。
黙って私の話を聞いた上で淡々と語った。
「よし、分かった。分かった上で知らない事にしてやる。だから謝って来い」と。
一生住むかもしれないこの地域で、生涯嘘を付き通すのは耐えられない事であろうと。
だから正直な気持ちを話して来いと言う。
知られたく無くて、とっさに嘘を付いたと謝罪しろと言うのだ。
夫の言い分は正しかった。
私は夫の寛大さに心包まれた。
よし謝ろう。ジタバタしたが“覚悟”する時が来たのである。
早速、近所で評判のお菓子を買い求め、奥様宅へ向かった。
足取りは思いのほか重かった。行ったり来たりのうろうろ状態だ。
会話を何度もシミュレーションし、気持ちを落ち着け、覚悟を言い聞かせる。
そしてインターフォンの前で、数え切れない程深呼吸した。
心臓はもう半分飛び出た状態だった。
たった一言の嘘がこんなにも気持ちを重くする事になろうとは
その時まで知らなかった。
嘘の罪に溺れる寸前だったと言える。
そしていよいよその時が来た。
一層大きな深呼吸をし、勇気をもってチャイムを鳴らす。
留守ならいいなあ~~~~と思った瞬間、
返答より先に元気一杯の奥様が姿を現した。
もう準備も何もあったものじゃない。
私は早速に言った。
「さっきはすみませんでした」と。
すると、奥様は満面の笑みを浮かべ、声を弾ませて言った。
「やっぱり、ちゃとこさんねぇ?」
「私ボケちゃったかと思っちゃったわよ」
「よかった。思い出してくれて」と。
私は深々と頭を下げ、誠心誠意謝罪し菓子を差し出した。
奥様は恐縮しきりで、怒っている様子はまるで無い。
なんて素晴しい人なのだ。
人を許すと言う難問をいとも簡単にやってのける姿に感動した。
そして私は言い訳を始めてしまったのだ。
昔の事は恥ずかし過ぎて都合が悪くなり、つい嘘を付いてしまったこと。
正直になる勇気が出なかったこと。
その全てをお詫びした上で、昔の事は秘密にして頂きたいむねを説明した。
ところがだ。
事態は急変した。
私のこの言い訳に、奥様はみるみる表情をかえ
ついには満面の笑みが無くなった。
しまった。謝罪だけにしておくべきだった。
これじゃあ~奥様の、口が軽いって言っているのと同じだ。
しかし後悔した所で既に遅い。
この事態をどう切り抜けたら良いものだろう?
その時だ。
奥様が言った。
なんと、なんと、なななんと・・・。
「ちゃとこさん、昔の事って何?」と。
はあ~~~?????
昔の事忘れて下さったのか?
イヤ、忘れるわけが無い。
だとすると、今ここで語れって言う事のなのか?
あれほど思い出したく無い魔の過去を、今ここでしゃべれって言う事なのか?
思わず溜息である。
でもこれも罰だ。
こうなったら腹を括るしかない。
私は思い付く事から語り始めた。
すると再び奥様が言った。
なんと、なんと、なななんと・・・。
「私アパートに住んだこと無いわよ」と。
はあ~~~~~~?????
何?何?何????どういう事????
住んだことが無い?
それってどう言う事?
私の頭はスロットの勢いで回り始めた。
信じられない事態である。
いったいこれはどう言うこと????
そうなのだ。
奥様はあの奥様ではなかったのだ。
こんな事があってもいいのだろうか?
この奥様は、あの奥様と同じ名前ではあるのの
かつての職場の非常勤パートさんだったのだ。
なんてことなの?
こんな事あっていいの?
勘違いにも程がある。
私の記憶は腐っているわ。
もう取り返しのきかない位に腐敗している。
私は改めて、深深陳謝し、これから宜しくと伝えて帰宅した。
夫の呆れた顔は今でも鮮明に覚えている。
うろたえた私の姿と帰宅後の様子を比較しては大笑いしていた。
しかし、この日に限っては大笑いも心から許せた。
奥様は今でも我家の裏手に住んでいる。
ためらい無くご挨拶出来る関係だ。
土産のやり取りさえ生まれ嬉しい限りだ。
あぁ~~~~それにしても、忘れたい記憶が増えるばかりだわぁ~。
勇気のいる事だが、肝を据えるには不可欠だ。
思うに“覚悟”には大きな「まじない」が隠れているようだ。
効果は人それぞれであるが、くよくよするよりずっといい。
あれは我家が今の住まいに越してきた早々の事だ。
ここはいわゆる「プチニュータウン」と呼ばれる所である。
新築だけが立ち並び、一つのブロックを作っている。
入居時期も殆ど同じだ。
町内の班もこのブロックで新たに作られ、古くからの住人が誰一人いない。
多少の不安はあったが、その方が住み易すいと判断した。
班長は一番初めに越してきた方が初代となり、一年交代で右回りだ。
あの日は、そんなルールを決める初めての顔合わせだった。
なんだかドキドキである。
いったいどんな方々がいるのか、不安と期待が入り乱れた。
班長宅には、ほぼ全員が集まった。
みな女性ばかりである。
若い方もいれば年配の方もいる。第一印象はとても良いものだった。
まずは自己紹介をし、後に町内行事やゴミ問題などを語り合いルールを決めた。
どの内容もスムーズだった。
ところが、事件はそんな新鮮な空気の中で勃発したのだ。
あれは私の自己紹介が終わってすぐの事だった。
遅れて到着した50代後半の奥様が開口一番言ったのだ。
なんと、なんと、ななななんと・・・。
「あれ~?ちゃとこさん(旧姓)じゃないの?」
はあ~~~~???なぬ?????
誰この人????
私に心当たりは無い。
でも私の旧姓を知っているではないか?
私の脈拍は一気に上がり、心音が数えられない速さになった。
何?何?何?
この人誰?え~~~~誰?困った。思い出せない。
う~~~どうしよう。
記憶が全く無い。
そんな時だ。
あっ!!!!!
私に恐ろしい記憶が蘇った。
思い出したくない記憶だ
すでに消滅しつつあったのものだ。
そうなのだ。
私は奥様を知っていた。
しかし出来れば思い出したく無い存在だったのだ。
私は昔、一人暮らしをしていた時期がある。
2LDKの分不相応な部屋だった。
自由を思いっきり満喫していた時代だ。
友人達と連日連夜、遊びまくり、何でも有りの毎日だった。
奥様はその時、隣に住んでいらした方だ。
まいった。実に参った。
この奥様には沢山の弱みを握られている。
当時の交際相手の事は勿論、
友人達と騒ぎ過ぎて叱られたことも何度もある。
上司の奥様に愛人の汚名をきせられ、怒鳴り込まれた時も迷惑かけた。
酔い過ぎて、部屋を間違え、奥様宅で服を脱いだ事もあるし、
奥様宅のキッチンで勝手に水を飲んで寝た事も確かある。
躓いて火災報知器を鳴らした事は2度、
迂闊にも回覧板を古新聞と一緒に捨ててしまった経験も蘇る。
羽毛の枕をベランダで叩いたら、布がさけ、
奥様宅のベランダ一面に羽が飛び散った記憶も思い出す。
学生気分が抜け切れない若き時だったとは言え・・・
米つきばったにならざろうえなかった。
あぁ~具合が悪くなったきた。
動機・息切れ・めまい・吐き気あらゆる病状が一気に溢れた。
当然のことである。
ご主人の帰宅がまちまちな奥様宅はいつも鍵をかけていない。
ましてや全てが同じ作りの建物で、
備え付け家具や備品の位置まで同じだった。
そこへもってきて私の部屋は、常に友人の誰かが訪問しており、
鍵を取り出す機会はいたって少なかった。
間違えてはいけない!と強く思うのだが、酔う度この過ちは繰り返された。
ご主人がとても良い方だったのが唯一の救いだ。
奥様はこの全てを知っているのだ。
あ~~~~終わった。
まだ越してきたばかりなのに。
一生住むかもしれない家なのに・・・
私は完全な弱みを握られた事になる。
奥様がご近所の方々に話したらどうなるのだろう?
うわさの屈辱に耐えられるだろうか?
イメージはどうなってしまうのだ?
こりゃあ~落ち込んでいる場合では無い。
どうにか回避策を考えなければならない。
だいたい当時のことを一番知られたくないのが実は夫だ。
普段完全に眠った状態の頭が、いっきにフル活動した。
あるったけのエネルギーで悪知恵を働かせた。
そして私は言った。
ずうずうしくも、ぬけぬけと
「え~~~私をご存知なのですか?」と。
そうだ。この期に及んで白をきる作戦だ。
我ながらこの白々しさには強く呆れた。
自分のふてぶてしさに絶句だった。
当然、奥様が納得するわけが無い。
しかし会議中ゆえ、同席者達の言葉でとりあえず口を閉じるしかなかった。
そこからの事はよく覚えていない。
ただお茶も飲まず早々に帰宅した事は確かだ。
動悸は益々激しくなり、頭の中がぐるぐる回った。
嘘を付いた罪の重さと、後ろめたさが私の胸を刺し続けた。
ましてや隠れた自分の腹黒さに脅え
それは耐えられないほどに膨らんだ。
そしてとうとう、私は自ら夫に告白した。
噂で耳に入るより私が打ち明けるべきだと決心したのだ。
意を決しての白状だった。
しかし夫は意外にも冷静だった。
黙って私の話を聞いた上で淡々と語った。
「よし、分かった。分かった上で知らない事にしてやる。だから謝って来い」と。
一生住むかもしれないこの地域で、生涯嘘を付き通すのは耐えられない事であろうと。
だから正直な気持ちを話して来いと言う。
知られたく無くて、とっさに嘘を付いたと謝罪しろと言うのだ。
夫の言い分は正しかった。
私は夫の寛大さに心包まれた。
よし謝ろう。ジタバタしたが“覚悟”する時が来たのである。
早速、近所で評判のお菓子を買い求め、奥様宅へ向かった。
足取りは思いのほか重かった。行ったり来たりのうろうろ状態だ。
会話を何度もシミュレーションし、気持ちを落ち着け、覚悟を言い聞かせる。
そしてインターフォンの前で、数え切れない程深呼吸した。
心臓はもう半分飛び出た状態だった。
たった一言の嘘がこんなにも気持ちを重くする事になろうとは
その時まで知らなかった。
嘘の罪に溺れる寸前だったと言える。
そしていよいよその時が来た。
一層大きな深呼吸をし、勇気をもってチャイムを鳴らす。
留守ならいいなあ~~~~と思った瞬間、
返答より先に元気一杯の奥様が姿を現した。
もう準備も何もあったものじゃない。
私は早速に言った。
「さっきはすみませんでした」と。
すると、奥様は満面の笑みを浮かべ、声を弾ませて言った。
「やっぱり、ちゃとこさんねぇ?」
「私ボケちゃったかと思っちゃったわよ」
「よかった。思い出してくれて」と。
私は深々と頭を下げ、誠心誠意謝罪し菓子を差し出した。
奥様は恐縮しきりで、怒っている様子はまるで無い。
なんて素晴しい人なのだ。
人を許すと言う難問をいとも簡単にやってのける姿に感動した。
そして私は言い訳を始めてしまったのだ。
昔の事は恥ずかし過ぎて都合が悪くなり、つい嘘を付いてしまったこと。
正直になる勇気が出なかったこと。
その全てをお詫びした上で、昔の事は秘密にして頂きたいむねを説明した。
ところがだ。
事態は急変した。
私のこの言い訳に、奥様はみるみる表情をかえ
ついには満面の笑みが無くなった。
しまった。謝罪だけにしておくべきだった。
これじゃあ~奥様の、口が軽いって言っているのと同じだ。
しかし後悔した所で既に遅い。
この事態をどう切り抜けたら良いものだろう?
その時だ。
奥様が言った。
なんと、なんと、なななんと・・・。
「ちゃとこさん、昔の事って何?」と。
はあ~~~?????
昔の事忘れて下さったのか?
イヤ、忘れるわけが無い。
だとすると、今ここで語れって言う事のなのか?
あれほど思い出したく無い魔の過去を、今ここでしゃべれって言う事なのか?
思わず溜息である。
でもこれも罰だ。
こうなったら腹を括るしかない。
私は思い付く事から語り始めた。
すると再び奥様が言った。
なんと、なんと、なななんと・・・。
「私アパートに住んだこと無いわよ」と。
はあ~~~~~~?????
何?何?何????どういう事????
住んだことが無い?
それってどう言う事?
私の頭はスロットの勢いで回り始めた。
信じられない事態である。
いったいこれはどう言うこと????
そうなのだ。
奥様はあの奥様ではなかったのだ。
こんな事があってもいいのだろうか?
この奥様は、あの奥様と同じ名前ではあるのの
かつての職場の非常勤パートさんだったのだ。
なんてことなの?
こんな事あっていいの?
勘違いにも程がある。
私の記憶は腐っているわ。
もう取り返しのきかない位に腐敗している。
私は改めて、深深陳謝し、これから宜しくと伝えて帰宅した。
夫の呆れた顔は今でも鮮明に覚えている。
うろたえた私の姿と帰宅後の様子を比較しては大笑いしていた。
しかし、この日に限っては大笑いも心から許せた。
奥様は今でも我家の裏手に住んでいる。
ためらい無くご挨拶出来る関係だ。
土産のやり取りさえ生まれ嬉しい限りだ。
あぁ~~~~それにしても、忘れたい記憶が増えるばかりだわぁ~。