若い頃は
幸せには条件があると思っていた
才能があること
運がいいこと
人より少し優れていること
そういった
人と違う
特別な何かを手に入れた先に
ようやく幸福というご褒美が
待っているのだと信じていた
冨、地位、名声。。
けれど歳を重ねるほど
不思議なことに逆の景色が見えてくる
世の中には
成功したのに苦しそうな人がいる
十分なお金があるのに
不安そうな人もいる
一方で
決して派手ではない暮らしの中で
穏やかに笑っている人もいる
どうやら幸せは
外側に積み上げた成果そのものではなく
それを受け取る心の状態に
深く関係しているらしい
考えてみれば
幸せとは実体のないものだ
手で掴めるわけでもないし
銀行口座に貯めておくこともできない
例えば。。
朝日を見て少し気持ちが軽くなる
散歩中に風が心地よく感じる
誰かから届いた短いメッセージに
温かさを覚える
そんな曖昧で頼りない感覚の総体を
私たちは幸せと呼んでいる
だから幸せは発見するものというより
むしろ
「解釈によって作られるもの」
なのだろう
同じ雨の日でも
「最悪だ」と思う人もいれば
「空もたまには泣く日がある」
と思う人もいる
ボブ・マーリーは
「雨を感じる人もいれば
ただ濡れるだけの人もいる」
と語ったという
降っている雨は同じなのに
その雨をどう受け取るかで
世界はまるで違って見える
人生もまた同じなのかもしれない
出来事そのものよりも
その出来事をどんな物語として受け取るか
世界そのものよりも
世界をどう眺めるか
その差のほうが
人生の満足度を大きく
左右しているように思う
もちろん
だからといって
精神論だけで生きられるわけではない
心は思っている以上に
体に支配されている
寝不足の日は
世界が少し暗く見えるし
疲れている日は
些細な言葉にも傷つく
逆に
よく眠り、歩き
体調が整っている日は
不思議なほど物事を
前向きに受け取れる
幸福という花を咲かせたいなら
まず土を耕さなければならない
その土とは健康であり
人とのつながりなのだと思う
成功は花火のようだ
夜空を鮮やかに照らし
人々の視線を集める
しかし花火は消える
もっと大きな花火を求め始める
さらに大きく、さらに派手に
終わりのない競争が始まる
一方で健康や信頼関係は
庭木のようなものだ
成長は遅い
昨日と今日でそう違いはない
だが十年後に振り返ると
その木は静かに根を張り
日陰を作り
人生を支えてくれている
だから幸福を考えるとき
百点を目指す必要は
ないのかもしれない
健康も七十五点
人間関係も七十五点
お金も七十五点
どれか一つだけ満点を取るより
全体をそこそこ整えるほうが
結果的に豊かになる
人生は短距離走ではなく
長距離走でもない
それは
ずいぶんと長い散歩に似ている
途中で全力疾走してもいい
だが最後まで歩けなくなったら
意味がない
むしろ
「しょぼくても右肩上がり」
で十分だ
若い頃の大成功より
六十代で少し健康になったこと
七十代で友人と笑えること
八十代でも
小さな楽しみが残っていること
人生全体で見れば
そういう穏やかな上昇曲線のほうが美しい
ところが
私たちは時々
非日常に救いを求める
大旅行
大イベント
ドラマのような奇跡
けれど人生の大部分は
名前も無き普通の日々でできている
もし日常が苦痛に満ちているなら
年に数回の特別な日だけでは
埋め合わせられない
逆に言えば
日常の不快を
少しずつ減らしていくほうが
幸福への近道だ
履き心地の悪い靴を替える
睡眠時間を確保する
嫌な人と距離を置く
派手さはない
だが人生を
静かに改善する力がある
そして
どうしても苦しい日は宇宙を見る
百億年以上続く宇宙の時間軸
五十億年続く地球の時間軸
そして人類の時間軸
その長さから見れば
自分の悩みなど砂粒より小さい
上司に怒られたことも
SNSで嫌なものを見たことも
宇宙規模では驚くほどどうでもいい
意識を遠くへ飛ばす
すると少し楽になる
逆に嬉しい日は
徹底的に近くを見る
湯気の立つ味噌汁
散歩道の緑
友人との何気ない会話
そんな小さな出来事に対して
「人類の歴史はこの一瞬のためにあった」
と大げさなくらい喜んでみる
人間は案外
そのくらい都合がよくていい
苦しいときは宇宙へ
嬉しいときは今ここへ
その往復運動が
人生を軽くしてくれる
結局のところ
この世は決して楽園ではない
病気もある。
老いもある。
理不尽もある
みんな違って
みんなそれぞれの
現実を抱えて生きている
だからこそ
完璧な幸福を探し続ける旅は
終わりがない
しかし
この世界は最初から少し
不完全な場所なのだと
受け入れた瞬間
不思議なことが起きる
期待は静かに下がり
感謝は静かに増える
朝、目が覚めること
歩けること
誰かと笑えること
そんな当たり前だった景色が
少しだけ輝いて見える
幸せとは
遠くの山頂にある宝物ではない
足元に落ちている石ころに
気づく感性であり
それを拾い集める習慣なのだと思う
そしてその石ころは
晴れの日だけではなく
雨の日にも静かに転がっている
雨を感じれる人の足元に。。
