🎄ようこそ
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暮らしの中で感じたことを、気ままに綴るブログです。

 

今回は、灯油代を少しでも抑えながら、体も心もほっとする
「わが家の冬の節約術」について書いてみました。

 

 

冬の節約術。日中は小さなストーブで「ついで調理」

 

北国の冬、わが家には大きなFFストーブがありますが、

日中はあえてお休みさせています。
夫婦二人の時間に大きなストーブを回し続けるのは、

やっぱり灯油代がもったいない(笑)。

そこで活躍するのが、小さなポータブルストーブ。
足元を温めながら、ついでに一日分の食事も作ってしまうのが、

わが家の冬のスタイルです。

 

朝から晩まで、ストーブの上は大忙し

朝は、天板の端っこで焼き芋をコロコロ転がしながら3時に食べます

お昼用には、野菜をたっぷり入れたポトフの鍋をそのままストーブへ。

ただ置いておくだけなのに、お昼には野菜がホロホロ。
小さなストーブでも、じっくり火が入るので、驚くほど美味しくなるんですよね。

 

夕方のバタバタも、ストーブにお任せ

 

わが家の夕食には、ちょっとした「時間制限」があります。
夜7時には子供が帰ってきて自分の夕飯を作り始めるので、それまでにキッチンを空けてあげたい。
私も6時半にはお風呂に入りたいので、逆算して早めに仕込みを済ませます。

4時ごろにおでんを仕込んでストーブに乗せれば、あとは放っておくだけ。
6時すぎに夫婦でサッと夕飯を食べ、鍋を片付けたら私のミッションは終了です。

6時半にお風呂へ。
7時には帰ってきた子供に、キッチンをバトンタッチ。

 

「ついで」が、ちょうどいい

灯油の節約のために始めたことですが、ストーブでコトコト煮た料理は、

ガスで作るのとはどこか違う気がします。

お風呂上がり、子供がキッチンでガタゴト料理をしている音を聞きながら、

温まった部屋でゆっくり過ごす時間。

北国の長い冬。
小さなストーブを賢く使いながら、明日もあたたかく過ごそうと思います。

 

 

今日はクリスマスイブですね。

この時期になると街中で山下達郎さんの「クリスマスイブ」が流れますね

最初はアルバム「MELODIES」の中に収録されていた曲なんですよ

 

昔、夢中で聴いていた
山下達郎さんのアルバム『MELODIES』。

 

「クリスマス・イブ」が流れてくると、
当時の空気感まで一緒に蘇ってくるようです。

でも、残念なことにレコードプレーヤーがありません。

 

棚に大切にしまってはあるけれど、
もう、あの針を落とす瞬間のワクワクは味わえない。
少し、もどかしくて、少し寂しい気持ちです。

 

今はスマホで手軽に音楽が聴ける時代。

それでも、大きなジャケットを眺めながら聴いていた時間は、
やっぱり特別だったなぁ…と思います。

みなさんは、今夜どんな音楽を聴いて過ごしますか。


どうぞ、素敵なイブを🎄

AIのイメージ画像・・

 

 

12月に入ると、ふっと頭に浮かぶ光景があります。
それは1980年代、
私がデパートの文具売り場に勤めていた頃のこと。

年末が近づくと、売り場の空気が一気に慌ただしくなりました。

 

✉️ 空前の「プリントゴッコ」ブーム

当時、世の中はまさに
プリントゴッコ全盛期

自分で年賀状をデザインして、
パカッと開いてランプを光らせる――
あの独特の作業に、誰もが夢中でした。

「今年はどんな絵にしようか」
そんな会話が自然に生まれる、
今思えば、とても贅沢な時間だった気がします。

🏬 文具売り場の本音と現実

私の働いていた売り場でも、
「ぜひ取り扱いたい!」
そう思っていました。

でも、大人気商品だったからなのか、
販売店が限られていたようで、
残念ながら本家のプリントゴッコ
うちの店では扱えなかったんです。

「プリントゴッコ、置いてないの?」
そう聞かれるたび、
心の中で(売りたいんですけどね……)と
つぶやいていました。

🖨️ 代わりに売っていた“あの類似品”

その代わりに販売していたのが、
他メーカーから出ていた
プリントゴッコによく似た類似品

メーカー名も商品名も、
今となってはすっかり忘れてしまいましたが、
当時はメーカーさんが売り場に立ち、
熱心にデモンストレーションをしてくれていました。

「本家じゃなくても、
こんなにきれいに刷れるんですよ!」

そんな声と一緒に、
インクの匂いが売り場に広がっていたのを覚えています。

その熱気が伝わったのか、
その類似品も、けっこう売れていました。

今はスマホで写真を選び、
あっという間に年賀状が完成する時代。
便利になった分、
あの頃の
・インクの匂い
・一枚ずつ刷る手作り感
・年末の売り場の活気

それらが、とても懐かしく、

忙しくも楽しかった、
あの頃の師走の思い出です。

 

 

🕊 ようこそ

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高校時代の部活の先生に、私は毎年、年賀状を出してきました。
卒業してから何十年も経つのに、なぜか「今年も書こう」と

思わせてくれる方でした。

 

最初の頃は返事も届いていましたが、いつの間にか来なくなりました。
「もしかしたら、もうお元気ではないのかもしれない」と、
ふと胸の奥がざわつき、何気なく先生のお名前を検索してみました。

すると、「2023年 ○○介護施設 今月のお誕生会」というページが見つかり、
そこに先生のお写真とお名前がありました。

写真を見た瞬間、
「ああ…先生だ」
そう、静かに思いました。

年を重ねているはずなのに、
高校時代に見ていたあの面影が、やわらかくそのまま残っていました。
声や立ち姿まで、一緒に胸の奥から立ち上がってくるようでした。

 

そのページで、先生が昭和7年生まれだということを初めて知りました。
返事が来なくなった理由も、年賀状をやめられたのかもしれないことも、
ゆっくりと腑に落ちていきました。

年賀状が先生の手元に届いていたのかどうかは、わかりません。
それでも、元気そうなお姿を見られただけで、心がすっと軽くなりました。

 

先生は今、人生の大先輩として、穏やかな時間を過ごされている。
そう知ることができただけでも、検索して良かったと思いました。

先生ご自身が返事を書くことが難しくても、
ご家族のどなたかが受け取ってくださり、
私の感謝の気持ちがそっと先生に届いていると信じています。

先生が生きていらっしゃる限り、
毎年一度、この小さな葉書に感謝を込めて送り続けること。
それが、卒業生である私にできる、ささやかな報告だと思っています。

先生、いつもありがとうございます。
どうか、どうかお元気で。

 

🕊 ようこそ
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今回は、盛岡で暮らしていた頃の懐かしい思い出のお話です。

 

盛岡の佐々木電機が倒産していたなんて

ある方のブログで、盛岡にあった「佐々木電機」が倒産していたと知り、

思わず目が止まりました。
「えっ、あのお店が?」と声が出てしまうほどの驚き。

 

 

というのも——
当時、私は実家のある盛岡に住んでいたからです。
あの店でレコードやコンサートのチケットをよく買った記憶があり、

そのたびに思い出す出来事がひとつあります。

 
 

街角で歌っていた三人組は、アルフィー

ある日、佐々木電機の前を歩いていると、

三人組のフォークグループが歌っていました。

レコード販売の宣伝だったのかもしれません。

その姿を見た瞬間、
「あ、テレビで無言劇を歌っていたアルフィーだ」とすぐ気づきました。
すでにテレビに出始めていたので、見覚えがあったのです。

三人のうちのひとりのギターについた小さなマスコットだけは、今でも鮮明に思い出せます。
 

数年後、「メリーアン」で大躍進

それから数年後。
彼らは「メリーアン」で大ブレイク。
フォークからロックへと大胆に路線変更した姿に、テレビの前で
「えっ、アルフィー!?」
と心の中がざわついたのを覚えています。

でも同時に、時代の勢いのようなものも感じられて、なんだか胸が熱くなりました。

 

「メリーアン」が大ブレイクし、世間が彼らの話題で持ちきりだった頃、

ファンの友達に誘われて、ついに彼らのライブに行くことになりました

あの盛岡の街角の電気屋の前で、一生懸命歌っていた彼らが、

今やこんな大きな会場を満員にするほどの人気を得ている。

その事実を目の当たりにし、「ここまでになるなんて」と、

なんとも言えない感慨深い気持ちになりました。

ステージの眩い光の中で力強く歌う彼らの姿は、

あの日の小さなストリートライブの記憶と重なり、胸に迫るものがありました。

 

1984年の全国ツアーでした

 

青森に住んでいたので青森文化会館で見ました

 

思い出の場所が消えてしまう寂しさと、温かさ

佐々木電機の倒産を知って、あの店先で歌っていた三人の姿が 

ふっとよみがえりました。 盛岡で暮らした時間の中に刻まれていた、

小さな、けれど大切な思い出。 

お店はなくなってしまっても、そこでの風景は今でも心の中に静かに、

温かく残っています。