今日はクリスマスイブですね。

この時期になると街中で山下達郎さんの「クリスマスイブ」が流れますね

最初はアルバム「MELODIES」の中に収録されていた曲なんですよ

 

昔、夢中で聴いていた
山下達郎さんのアルバム『MELODIES』。

 

「クリスマス・イブ」が流れてくると、
当時の空気感まで一緒に蘇ってくるようです。

でも、残念なことにレコードプレーヤーがありません。

 

棚に大切にしまってはあるけれど、
もう、あの針を落とす瞬間のワクワクは味わえない。
少し、もどかしくて、少し寂しい気持ちです。

 

今はスマホで手軽に音楽が聴ける時代。

それでも、大きなジャケットを眺めながら聴いていた時間は、
やっぱり特別だったなぁ…と思います。

みなさんは、今夜どんな音楽を聴いて過ごしますか。


どうぞ、素敵なイブを🎄

AIのイメージ画像・・

 

 

12月に入ると、ふっと頭に浮かぶ光景があります。
それは1980年代、
私がデパートの文具売り場に勤めていた頃のこと。

年末が近づくと、売り場の空気が一気に慌ただしくなりました。

 

✉️ 空前の「プリントゴッコ」ブーム

当時、世の中はまさに
プリントゴッコ全盛期

自分で年賀状をデザインして、
パカッと開いてランプを光らせる――
あの独特の作業に、誰もが夢中でした。

「今年はどんな絵にしようか」
そんな会話が自然に生まれる、
今思えば、とても贅沢な時間だった気がします。

🏬 文具売り場の本音と現実

私の働いていた売り場でも、
「ぜひ取り扱いたい!」
そう思っていました。

でも、大人気商品だったからなのか、
販売店が限られていたようで、
残念ながら本家のプリントゴッコ
うちの店では扱えなかったんです。

「プリントゴッコ、置いてないの?」
そう聞かれるたび、
心の中で(売りたいんですけどね……)と
つぶやいていました。

🖨️ 代わりに売っていた“あの類似品”

その代わりに販売していたのが、
他メーカーから出ていた
プリントゴッコによく似た類似品

メーカー名も商品名も、
今となってはすっかり忘れてしまいましたが、
当時はメーカーさんが売り場に立ち、
熱心にデモンストレーションをしてくれていました。

「本家じゃなくても、
こんなにきれいに刷れるんですよ!」

そんな声と一緒に、
インクの匂いが売り場に広がっていたのを覚えています。

その熱気が伝わったのか、
その類似品も、けっこう売れていました。

今はスマホで写真を選び、
あっという間に年賀状が完成する時代。
便利になった分、
あの頃の
・インクの匂い
・一枚ずつ刷る手作り感
・年末の売り場の活気

それらが、とても懐かしく、

忙しくも楽しかった、
あの頃の師走の思い出です。

 

 

🕊 ようこそ

いつも読んでくださっている方も、今日たまたま立ち寄ってくださった方も、
ありがとうございます。
暮らしの中でふと心に触れたことを、静かに綴っているブログです。

 

高校時代の部活の先生に、私は毎年、年賀状を出してきました。
卒業してから何十年も経つのに、なぜか「今年も書こう」と

思わせてくれる方でした。

 

最初の頃は返事も届いていましたが、いつの間にか来なくなりました。
「もしかしたら、もうお元気ではないのかもしれない」と、
ふと胸の奥がざわつき、何気なく先生のお名前を検索してみました。

すると、「2023年 ○○介護施設 今月のお誕生会」というページが見つかり、
そこに先生のお写真とお名前がありました。

写真を見た瞬間、
「ああ…先生だ」
そう、静かに思いました。

年を重ねているはずなのに、
高校時代に見ていたあの面影が、やわらかくそのまま残っていました。
声や立ち姿まで、一緒に胸の奥から立ち上がってくるようでした。

 

そのページで、先生が昭和7年生まれだということを初めて知りました。
返事が来なくなった理由も、年賀状をやめられたのかもしれないことも、
ゆっくりと腑に落ちていきました。

年賀状が先生の手元に届いていたのかどうかは、わかりません。
それでも、元気そうなお姿を見られただけで、心がすっと軽くなりました。

 

先生は今、人生の大先輩として、穏やかな時間を過ごされている。
そう知ることができただけでも、検索して良かったと思いました。

先生ご自身が返事を書くことが難しくても、
ご家族のどなたかが受け取ってくださり、
私の感謝の気持ちがそっと先生に届いていると信じています。

先生が生きていらっしゃる限り、
毎年一度、この小さな葉書に感謝を込めて送り続けること。
それが、卒業生である私にできる、ささやかな報告だと思っています。

先生、いつもありがとうございます。
どうか、どうかお元気で。

 

🕊 ようこそ
いつも読んでくださっている方も、今日たまたま見つけてくださった方も、

ありがとうございます。
暮らしの中で感じたことを、気ままに綴るブログです。
今回は、盛岡で暮らしていた頃の懐かしい思い出のお話です。

 

盛岡の佐々木電機が倒産していたなんて

ある方のブログで、盛岡にあった「佐々木電機」が倒産していたと知り、

思わず目が止まりました。
「えっ、あのお店が?」と声が出てしまうほどの驚き。

 

 

というのも——
当時、私は実家のある盛岡に住んでいたからです。
あの店でレコードやコンサートのチケットをよく買った記憶があり、

そのたびに思い出す出来事がひとつあります。

 
 

街角で歌っていた三人組は、アルフィー

ある日、佐々木電機の前を歩いていると、

三人組のフォークグループが歌っていました。

レコード販売の宣伝だったのかもしれません。

その姿を見た瞬間、
「あ、テレビで無言劇を歌っていたアルフィーだ」とすぐ気づきました。
すでにテレビに出始めていたので、見覚えがあったのです。

三人のうちのひとりのギターについた小さなマスコットだけは、今でも鮮明に思い出せます。
 

数年後、「メリーアン」で大躍進

それから数年後。
彼らは「メリーアン」で大ブレイク。
フォークからロックへと大胆に路線変更した姿に、テレビの前で
「えっ、アルフィー!?」
と心の中がざわついたのを覚えています。

でも同時に、時代の勢いのようなものも感じられて、なんだか胸が熱くなりました。

 

「メリーアン」が大ブレイクし、世間が彼らの話題で持ちきりだった頃、

ファンの友達に誘われて、ついに彼らのライブに行くことになりました

あの盛岡の街角の電気屋の前で、一生懸命歌っていた彼らが、

今やこんな大きな会場を満員にするほどの人気を得ている。

その事実を目の当たりにし、「ここまでになるなんて」と、

なんとも言えない感慨深い気持ちになりました。

ステージの眩い光の中で力強く歌う彼らの姿は、

あの日の小さなストリートライブの記憶と重なり、胸に迫るものがありました。

 

1984年の全国ツアーでした

 

青森に住んでいたので青森文化会館で見ました

 

思い出の場所が消えてしまう寂しさと、温かさ

佐々木電機の倒産を知って、あの店先で歌っていた三人の姿が 

ふっとよみがえりました。 盛岡で暮らした時間の中に刻まれていた、

小さな、けれど大切な思い出。 

お店はなくなってしまっても、そこでの風景は今でも心の中に静かに、

温かく残っています。

 

❄️ようこそ
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今回は、子どもが岩手で買ってきてくれた“原木しいたけ”についてのお話です。

 

🍄 子どもが買ってきた、岩手の“原木しいたけ”

先日、子どもが岩手に出かけたとき、
「道の駅にしね」で 原木しいたけ を買ってきてくれました。

もう“貫禄”がすごいんです。

 

 

🌱 原木しいたけって、やっぱり香りが違う

ラベルを見ると、
八幡平市の原木栽培で、地元の生産者さんの名前入り。
こういう“生産者さんの顔が見える食材”って、安心感がありますね。

原木しいたけは、
・香りが濃い
・肉厚でジューシー
・焼くだけでごちそう
…という三拍子そろった存在。

大きさも立派で、400円はお買い得に感じました。

 

🍳 どうやって食べようかな?

原木しいたけの美味しい食べ方といえば…

・オリーブオイルをちょっと垂らして網焼き
・バター醤油のステーキ
・シンプルに塩だけのグリル
・炊き込みご飯も相性抜群

何をしても美味しそうで、しばし悩みました。
(こういう迷いって、幸せですよね…)