この数年

自分の終いを考える

終い仕度という言葉に文字に触れた時

なんて

良いことばなのか・・・と思った。


死に仕度よりは百倍も千倍、万倍も良い

念頭に置いて

ああしよう

こうしよう

と、

思うが。


本当の気持は心置きなく旅立ちたいのだ

でも どうやら無理みたいだ

望んでいた夢や期待は

遠い存在だ

そこに

手に取れるところにあった筈だったのに。


私には男子が三人いる

引き連れて

居酒屋にレストランにバアーに行くのが 夢

それぞれの道を行くのが男子

歩く子 留まる子 滞り迷う子

自慢して歩きたい男子


話は逸れた?


終い仕度を考えるには

思いが

煩悩が強すぎて

特に欲が深すぎて

焦るのだ

きっと、悔しい心のままで消えるのだろう。


心乱れるままに

しかし、終いを考えている

人間 どんなに絆があっても別離は来る

どうか悲しまないで欲しい

あれこれ悩まないで欲しい

寿命で逝ったなら祝って欲しい。


あっ、これは遺言ではないか(笑)


この歳になって解ることが多くある

どうぞ耳を傾けて欲しい

当たり前の家族愛 人間愛 自然愛

これしか無い

しっかり持つものはこれしか無い

笑い怒り憎悪喜怒哀楽 つきもの!!


心しないけないのは

無責任になってはいけない!絶対に!

どんな境遇でも自尊心を汚さないことだ

見得や虚栄心ほど下らないものは

無いこと知る心の力を持つのだ

お金? 清潔な心持てば無くても大丈夫!


極悪人はいけないか・・・

いけないだろう

しかし心に真摯を持つなら理解する

人間には結局誰彼は無い 等しいわ

貧富の差クソ喰らえ!だ

人生 自分で納得できればいい。


一発狙う奴ほどくだらない者はいない

世の中自分で回ってはいない

与えられた環境

与えられた生きること

向上心これでクリアして行こう

その胸にある尊い心を私は信じる。


終い仕度を考え 焦る心をも持ち

しかし、逸る心を宥めつつ考える

写真を捨て衣服を捨てしても

毎日が死するまで来る

追いかけっこな気持

終い仕度 順々にして行く。