生きること― 死ぬこと―
こんな重いテーマを、こんなお気楽な、のほほんとしたブログに書いていいものか迷ったんですけど どうしても今の私の思うことをブログに残しておきたくて・・・。なので、「死」という言葉がたくさん出てくるので、気分が悪くなりそうな方はスルーしてください(。-人-。)そして、かなりの長文になりますので、あしからずm( _ _ )mミーちゃん(享年19才)彼女の凛と強い、生きたさまと(”生き様”は良い意味ではないらしいので、あえて”生きた様”と)立派だった死について・・・四十九日も過ぎ、やっと今、落ち着いて書けるようになりました。忘れもしない2月15日玄関の土間に嘔吐をし、すっかり衰弱したミーちゃんを主人が慌てて病院に連れていったのですが、その時、病院の先生に「あと一週間かも」と言われ、それを主人から聞いた私はショックで、二人ともボロボロと泣いてしまいました。私達がコロンの突発性前庭疾患で毎日いっぱいいっぱいだった時、既にミーちゃんは重く患っていたのです。その体調の変化に気づいてあげられなかったことを今でも後悔しています(ノ_・。)病院から帰って、グッタリ横になっているミーちゃんを撫でながら、ずっと「ごめんね、ごめんね」って泣いていたら、「何、泣いてるの?私は大丈夫だよ」と言ってるみたいで、その通り、それから1ヶ月以上、ミーちゃんは頑張って生きてくれました。凄いよ、ミーちゃん!ちゃんと自分でトイレに行ったりご飯も一生懸命食べようとしたり何より、点滴、頑張ったよねえらかった!!3月23日かなり衰弱しているミーちゃんを検査の為、病院に連れていった主人。この時ミーちゃんは本当に辛かったと思う。病院から電話が来て「危険な状態」と言われ、主人が急いで病院に様子を見に行ったら、元気そうにしていて(たぶん無理してたんだと思う)きっと「病院で死ぬのは嫌やだ」と、必死で「私は平気、大丈夫だから、早く家に帰らせて」と気をはっていたんだと思う。家に帰ってからはもう足はヨロヨロして、歩くこともおぼつかないのに、それでも必死に自分の足で歩き、生きようとしていたミーちゃん。体に力が入らず、意識も朦朧としていたけど、それでもミーちゃんは最期の最期まで気力を振り絞って懸命に生きていました。ちゃんと(しっかり)生きようとしているように私には見えました。日付が変わった深夜2時過ぎ私は心配でずっとミーちゃんを見ていました。ヨロヨロとお水のところに来たけど、飲んだのか飲まないのか、ご飯のところにも行ったけど、鼻をつけただけで、自分のベッドへ戻っていきました。そしてその後、目にしたミーちゃんの最期。私はミーちゃんの魂が燃え尽きるのをこの目で見たんです。ミーちゃんの魂が天に昇る瞬間を。それはとても言葉ではいい表せない状況で、私は急いで主人を起こし、主人に抱きかかえられ、ミーちゃんは息をひきとりました。この時のミーちゃんの壮絶な「死」を目の当たりにして、私の中の「死」に対する感覚が大きく変わったんです。生きること―死ぬこと―に対する私の概念みたいなものが完全に変わってしまいました。うまく言えないんですけど「死」を’悲しいこと’と捉えなくなった・・・たぶん、具合が悪くて、辛かったミーちゃん(毎日点滴され、どうにか命をつなぎとめていたけど) もしかしたら、死んでしまった方が楽だったのかもしれない。でも、ミーちゃんは最期まで生きることを諦めず、決して人の手を煩わすことなく、最期まで自分のチカラで生き抜いた。素晴らしい猫さんでした。最期まで強く、凜と(省吾さんの曲のように)生きて、生ききった!ミーちゃん「死」は悲しいことだけど、私はミーちゃんの「死」に感動したし、ミーちゃんの「死」には少しの”悲しみ”もなかったんです。それは”悲しみ”を超えた、壮絶で、荘厳で、空前絶後のような「死」でした。生きものはいずれ皆、死を迎える。早いか遅いかだけ。それは決して、早いから悲しいとか、遅ければ悲しくないというものではないし、もしかして「死」を悲しむのは人間だけなのかもしれない。もう会えない・・・と思うから悲しいのだけれど死ぬと同時に、誰かの心の中で生きるのならそれはそれで素晴らしいと思う。自分が死んだら、自分の家族や友人の心の中で生きていける、そう思えたら、「死」は決して怖いものじゃなくなる。もし私が死んだら、何人の人の心に生きられるのだろうミーちゃんのように人に媚びず周りを気にすることなく自分らしく堂々と生きることができたならおそらく「死」は怖くないんじゃないだろうか日常から姿・形は消えてしまっても魂は残る誰かの心に残れる魂でありたい。そして、生きている間は、自分の魂を磨き、ミーちゃんに恥じないよう、魂のない抜け殻のような生き方だけは絶対にしたくない!そう思います。あいかわらず、下手なまとまりのない文章ですみません(-"-;A要するに今わたしは”悲しみ”を超えたミーちゃんの「死」に直面し、自分自身が一皮も二皮もむけた、イヤ、脱皮した(笑)そんな感じなんです