あれから10年。 | cyanのブログ

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音楽活動や日常で感じた想いなどを書いていきます。


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はじめて東京にきた17歳。
街が半端なく大きく感じ圧倒された。
右も左もわからない。
イントネーションは違うし、
人の多さにもビックリで…。
この街は、いつ暗くなるんやろ?とか、
みんないつ寝てるんやろ?とか…
不思議なことでいっぱいでした。


早々と、、、

兵庫県小野市から上京してきて
今日で10年目を迎えました。


一人暮らしをはじめた18歳。
恥ずかしながら…
洗濯機の使い方さえ分からなかった。
柔軟剤、洗剤、洗濯機の洗い方。
炊飯器の使い方さえも本当何も分からなかった。

今でも思い出すなあ...
「お母さん、洗濯機の使い方教えて」って電話したこと笑

バイト掛け持ちして、
歌のレッスン行って。の繰り返しの毎日。

どんどん洗濯物は溜まっていく。

自炊をする元気もない。

もちろん。部屋を掃除する元気もない。

ここではじめて気付けた、
親のありがたみ…。

お母さん、ほんますごい!って心底思った。

今まで、何度もお母さんの言葉に助けられてきた。

お母ちゃんはすげー。
何でも話せる心友でもあります。笑


上京してから2年くらい、
東京の水にも合わず…(^_^;)

肌荒れ、湿疹…と本当に本当に大変でした。。。


そしてそんな東京での生活が2年目になった頃のこと。
ようやく落ち着いてきた生活。
次はお父さんとの思い出。


自由奔放な私。自分のワガママで、
やりたいことは絶対やりたい!!と
両親に強く思いをぶつけて実家を出ました。

ただ東京での生活が少し落ち着いてきた頃にも関わらず、そんな頃にホームシックになっていました。

いつもお母さんとばかり電話をしていたので、たまにはお父さんにも電話しよう!と軽~い気持ちで電話しました。

特に理由はありませんでした。
そんなに長電話ではないけれど、
色々と話した最後…電話切る前に、

「身体に気ぃつけて頑張りよ。」

極普通の言葉かもしれません。
でも私にとっては、あの日 受話器越しで言われた感覚は、ずっと忘れられない思い出となりました。

ホームシックになっていた分、
お父さんからのエールが心に深く響きました。

両親は、上京するのを大きく反対していたわけではなかったですが…
かなり色んなことで悩ませたと思います。
はじめは、高校にも行きたくないと言ったくらいの私ですから笑

↑ほんま大変な小娘でした。笑

あれ、今も?!

上京というのに対して、
すぐに良い返事は返ってこなかったです。
今思い返してみればそりゃそうですよね笑

私にもいつか子供ができて同じ状況になったとき…反対するという選択肢も大きくあるかもしれないし?笑

でもこうして、やりたいことを目一杯やらせてくれた両親に本当に心から感謝です。

思い立ったらすぐ行動!な私。

10年目も、はちゃめちゃでおっちょこちょいな私は変わらないかもしれないけど笑

小さな幸せに気付くことができ、
どんなときでも素直な
あったかい人でありたい。

そんな音楽とこれからも生きていきたい。

いや、生きていく。


いつも応援してくださるみなさん。

本当に本当に、ありがとうございます。

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このひまわりのように、どんなことがあっても!自分を持ちブレないように、
私らしく居続けます。

今後ともcyan(シアン)を、
応援よろしくお願い致します♪



どこにいても、
この空で繋がっているから。

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-cyan-