大分日が経ってしまったけれど、高校での異文化理解ワークショップのお仕事。

 

自分で報酬額を決めて提示したのだけれど。

提示までの過程が、新しい自分を知る良い機会だった。

 

学校で働いていたのもあって、学校でボランティア講師をする場合の謝礼相場はなんとなく知ってはいた中で。

考えに考え抜いて、私はそれを完全に無視して私が欲しい金額を提示した。

 

「あぁぁ。この額を欲しい!って出したらどう思われるだろう...」

「ボランティアと思って依頼したのに!??って引かれるかな...」

 

とは思ったのだけれど。

 

1万円?

 

2万円?

 

と自分に尋ねてみて。

 

 

「いやいや、ボランティア講師の相場より上回ってるし!十分でしょう!」

 

という気持ちが大部分だったんだけれど。

陰でくすぶる気持ちを見つけた。

見つけたら、その気持ちが「見つけてくれた!」って自信をつけたのか、日を追うごとにだんだん大きくなっていって心の声の大部分をしめるようになった。

 

「例えば行政のワークショップなんかで呼ばれる外部講師はそんな額で働いているわけがない!」

「あの人達はたくさんもらえて、私がもらえないのはずるい!」

「彼らはプロだっていうなら私だってプロだ!」

 

 

ずるい!ずるい!ずるい!

 

って。

 

でもさ。

気が付いたんだよね。

 

先方ははじめっから「報酬は自分で提示して」って言ってる。

それを、自分で勝手にボランティア化している。

自分で勝手に安く売ろうとして納得できないでいる。

彼らと同じくらいであろう報酬を提示する権利があるのに、放棄しようとしてそれでいて勝手に拗ねている。

 

 

自分で勝手に安い女にしようとしているだけ。

誰も私を買い叩こうとしていないのに。

 

でもさでもさ。

よく考えたら、その時期は西瓜販売の終盤。

実際のワークショップは2時間だけだけれど。

その構想を練る時間も含めると最低2日は必要。

 

西瓜の仕事を止めなきゃいけない。

 

となるとその分の利益も担保できる額をもらわないと..って冷静に考えたとき。

それまでドキドキして「こんなにほしい!って言って大丈夫かな...?」って不安だった額は妥当な額になった。

 

結局、提示したらどうなったか。

 

もちろん、先方には初めは渋られたのだけれど。

最終的には提示した満額をいただくことができた。

 

また呼んでもらえるかは分からないけれど、金額に見合う仕事もできた、って思っている。

 

 

ずるい!って思うのはさ。

「私だって本当はできるのに!!手に届くのに!!」って気持ちがあるよね。

 

んで。

いい人に見られたいとか

波風立てたくないとか

「こんなハンデがあるから無理」って

 

自分に都合のいい理由を優先して勝手にできなくしているだけ。

 

権利を放棄している、ただそれだけなんだよね。