って、よく言うよね。

だから、耳にする度、目にする度に心が波打った。

 

「私、心が乱れているのかぁ..」って。

 

部屋の汚さを不快に感じはするけれど。

気が向かないから、体が動かない。

「時間がないからできない」って後回しにしてきたにも関わらず、いざ時間ができても一向に気が乗らない。

 

思い返すと、過去の仕事先で定期的に受験していたクレペリンでストレス耐性は強いって出てはいるけれど。

人の顔色を伺って、場の空気を読んで立ち振る舞うのを息するかのようにやってきていたもんで。

まぁまぁ若い頃から、まぁまぁ病んでた。

 

主に摂食障害、睡眠障害、難聴。

 

渦中では「大丈夫」とか「大したことない」ってやり過ごしてたけど。

こうして文字に起こすと、結構インパクトでかいな。

 

複数回の転職の影響で、学生を終えてからも普通の人よりは週単位・月単位のまとまった時間には恵まれたけれど。

「仕事(金を得られる行動)をしていない自分」に対して後ろめたさが常にあった。

まぁ、実家で過ごすから親兄弟の目もあるしね。

 

 

でも、いざ環境を整えられるようになってみるとさ。

ピッタリ当てはまる言葉ではないんじゃないかなぁって。

言葉の方向はあっているけれど、少しずれてる。

 

心のダメージ度合いが環境に現れているんじゃないか、って思うんだよね。

そのダメージは、ストレスだったり、我慢して心に負荷をかけていたり。

 

今まではさ。

空いている時間はあっても、心は充分に休まってなかったんだ。

自分がそれを良しとしていないためにさ。

だから、ちゃんと回復もできてなかったんだわ。

ケアルガ(大回復)ではなくて、ケアル(小回復)程度。

 

でも。

2020年に会社員として生きることを降りて。

2年の時間をかけて、できるだけ自分の本心とずれたことをしないように生きるようになったことで心も回復してきたようで。

ようやっと、ちゃんと「環境を整える」ことができるようになったんだなぁ、って。

 

「私、片付けができない人間なんだ..」って思ってたけど。

それは違った。

 

環境を整えられるほど心に余裕がなかったんだね。

 

 

 

心のダメージが大きすぎたんだなぁ。