考えてみると今まで実習をちゃんと振り返ったことがなかったな、と思う。もちろん病院に提出する感想は記入したけれどそれは書き捨てたままであって時間を置いて振り返ってみるということがなかった。
ところで、書く、という事は考えることであると思う。あるいは振り返る、ということにもなるかもしれない。書いているうちに言語化されていなかった曖昧な思考は規格された言葉となって整理される。それが必ずしも正確とは限られないけれど…そういう意味で実習を行ったまま、文章としてまとめなかったということは、実習は行ったけれど、それについてあまり考えなかったと言えるかもしれない.しかし折角貴重な経験をさせてもらったのだから、その意義を掘り下げてみないというのはもったいないことだなと思った。今更ながらですが。
現在は二〇一〇年2月だけれども、その実習を行ったのは二〇〇九年の3月だった。まだ一年も経っていないのかという思いと、もうそんなに経ってしまったのか、という気もしてくる.一つ確かなことは、さして記憶に強くない僕は、その細部は不鮮明となり、運良く思い出される事も案外自分に都合よくすりかわってっているかもしれない。その点を容赦してもらった上で説明を加えたいと思う.
その時僕は藤川さんの手配の下に北毛病院(渋川市)であれこれと実習をさせてもらっていた。そのプランの一つに精神保健に関わるものがあった。障害には身体障害者、精神障害者、知的障害者の三分類ばあるというけれども、僕がお世話になった「N作業所」はその三障害のいずれかにあてはまる人すべてを対象にしていた。そこでの共に作業を行い、時に利用者と団欒した事もとても思い出深い。しかし今回その内容については割愛したい。もう少し話したいのは、このN作業所の利用者が入居しているグループホームでのことだ。その場所は作業所から歩いても数分のところにあった。そして僕はそこに藤川さんと一泊した。
グループホームには5,6人が共同生活をしていた。全員が何らかの精神疾患を抱えているということだったが、特に大きなトラブルはなく生活が成り立っているということだ。作業所での活動を終えて夕近くに皆グループホームに戻ると、早めの夕食が始まる。その時初めて対面したのがTさんだった。というのはTさんはその日作業所で見かけなかったからだ.Tさんは口数が少なかったが、ちょっとした会話からは特に特に障害を抱えているようには思えなかった.
夕食を終えるとそれぞれ自室に戻る人、茶の間でこたつにはいってテレビを見る人など様々であった。そして僕等は茶の間にいた。その頃野球の世界戦が行われていたが、当日は日本と韓国の試合がTV中継されていたと思う。他の利用者は自室にひきあげていったがTさんは残って野球中継を眺めていた。その合間合間に僕らは何とはなしに色々と話しをした。
同行した藤川さんは、精神保健福祉士(PSW)の時にTさんを担当していたらしく、最近の生活や作業所に対する気持ちについてなどを尋ねたりしていたように思う.僕は主に聞き役だったけれども、その中で分かったのは、どうやらTさんはいつからか何事にもやる気が出なくなってしまって、現在も作業所での活動にも負担を感じているようであった。その上、作業所でもグループホームでも話が合う相手が見つからず、月に一回の精神科の外来でも医師とのコミュニケーションに隔たりを感じているということだった。とつとつと話すTさんは、「作業なんかしないで、部屋でのんびり過ごしていたい」といような言葉とは裏腹に、現状を何とかしたいのだけれども、という不満とも諦めとも違った思いが見え隠れするような気がした.
僕はどうも時々厚かましい事をする質で、その時も調子に乗ってTさんへのマッサージを催促した。幸い承諾してくれたので、早速肩をほぐしにかかった。すすると、素人の僕でも分かるほどに肩は張っていた。それが姿勢からくるのか精神的な緊張から来るのかは分からない.しかし時間をかけて肩、背中とほぐしていくと、不思議とTさんの血色が良くなり、表情も良くなってきた気がした。そんな折にTさんが思いがけない提案をした。曰く、今日は何か気分が良くなってきた、よかったら一緒に一杯のみませんか。
Tさんが自分から進んで何かをしようとしている。それがどんな形であれ、Tさんには良い意味での変化が見られたような気がした.その思いは僕よりも長い期間Tさんを見てきた藤川さんにとっても同じだったらしい。僕らはそそくさと外に出て、灯りが少なく、張り詰めるような寒気の残る道を歩いた.コンビニに着くとTさんは缶ビール、僕と藤川さんは炭酸飲料(実習中で残念ながらアルコールは我慢した)とつまみのお菓子を買った.そしてグループホームに戻ると、三人で乾杯して、再び昔からの友人同士のように歓談した。
精神疾患を抱える患者は社会とのつながり、人とのつながりが希薄になりがちだ。そのような話しをよく聞く。そして作業所やグループホームの存在もそのような問題意識が根底にあるのだろう。しかしそれでも当事者である患者にとっては生きづらい社会のままであるようだ。一方で一般の生活を営む人にとってそのような現実を知る由はない。況や医療従事者であってもこのような現実を変えることは個人の力では難しく、当事者意識にまで至らない事が多いのかもしれない.
現在障害者に対する社会保障、制度はいくつか存在するが、それは障害者という枠があまりにも大きすぎて個人個人にフィットする形での整備は進んでいないように思える.例えば作業所についても地域毎にその数は限定されていて、例えそこの作業内容や環境が自分に適していない場合でも選択の余地はないという。加えて作業自体が単純労働で、その報酬も微々たるものであることから、障害程度が比較的軽い利用者にとって作業自体へのやりがいや充実感が得られにくいといった声を聞く。
そもそも障害者の自立を謳っていながら障害者の能力をあまりに低く評価しているのではないかと思われる気がする。それは銀座にあるスワンというパン屋が障害者を雇用しながらも高品質のパンを販売して高い評価をえているという例からも再考の余地があると思われる.何より、このような議論が一般になされないという問題がある。
僕の場合、今回のような実習を通して幸い精神疾患を抱える方と心を通わせる機会を得て初めて当事者意識に近い形で問題を認識できた。その問題を深めて何か高度な形で還元するにはまだまだ勉強不足だ。まずはTさんとした、図書館に一緒に行く、という約束
を果たさねばな、と思っている.(Tさんは読書をもっとしたいが、本が高いし、図書館まででかける手立てやきっかけがないという事だった)またTさんとゆっくり話しをするのが楽しみである.