沖縄で本質に出合う | みんながハッピーな世界を創造したい、魂(心)セラピストのブログ

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人と深く繋がれないSAD,離婚危機、お金の不安、家族のいざこざ、ADHD、一人ぼっちという恐れもを乗り越えた先に、自分軸の土台を作りあげることができた。内観、洞察するのが好きなブルーレイスターシード。チャネラー。笑顔と安心のため、いろんな活動してます

 

 

 

 


沖縄で本質に出合う


いま、実家に5年ぶりに帰ってきました

うちは、家族の関係がすごく複雑で

はちゃめちゃで

いったいどんな目的をもったら


こんな人生になるの?って思うほど


すっごくドラマティック




不思議なのは、両親もその両親も


そのまた祖先も、たぶん

時代が違うのに

境遇が似ていて

引き継がれている




『祖先・家族が繰り返すものを終焉すること』


祖先や両親が繰り返している


苦しみの根底にあるものを


このタイミングで終わらせる








親と価値観が合わなさすぎて


何度挫折と、葛藤を繰り返してきたか


わからない体験をしているひともいるはず


これまでは親がわたしを否定してきたから


=認めてくれない、愛してくれないから


自分に対しても


人に対しても


完璧を求め


厳しく、否定的で


『怒りっぽい完璧主義』だった


今回、おばあちゃんから話をきいてわかった


おばあちゃんが母に対して


なぜ厳しく、冷たくみえるのか



母いわく、おばあちゃんが


こんな話をしたのははじめてだったみだい


なんか話に吸い込まれた




10代のころにあったこと


両親が仕事で子供と話を一切しなかったこと


10人いた兄弟姉妹のこと


お父さんがモテた話


必死に逃げ惑うひとの混乱


宮崎に疎開したときの話


荒れ果てた沖縄での大変だった話


おじいちゃんが入院している時に


上から目線でものを言うことに


もっと優しい言い方してくださいと


頼んだ話


おばあちゃんがなぜ、これまで


うちの母を育てず


再婚相手のこどもを育てたのか



おばあちゃんのいろんな話から


おばあちゃんが変わった性格だからと


理解してたけど



そんな単純なものじゃなかった



うちの母の人生が狂ったのは




おばあちゃんのせいじゃない


おばあちゃんの親がこどもと話すのを嫌ったこと


戦時中に見知らぬ土地で


なんども家を破壊されて


開墾してきたこと


戦前、戦後に残った人たちの生活を支えてきた


祖先とおとなたち


ただ毎日必死になるしかない


親に愛されているとわかる接し方や


平和とか


楽しい趣味とか


恋とか


そんな余裕のある時代じゃなかった



毎日、生きるのがやっと



わたしに引き継がれた願いは、


じぶんのいのちを全うできる奇跡



家族とそうでないひととのつながり


温もり


やりたいことを選んでいい


もっと望んでいい







社会、風習、常識に縛られず


わたしを生きていい







たとえ、親から否定的なことばで


こうしたほうがいいよ!っていわれて


いい歳して親に反抗してはいけないと


おもっても



わたしがとっさに反抗してもいい


「わかってるよ」ってつめたいい言葉になってもいい



素でいられることが


どんな時代を経て


体験できているか





不思議と



わたしがここにいるのは


それを体現して


体験することで


あらたな想いを


残せるんかなって




とりとめのない内容になったけど


なにか伝わったらうれしい