☆シャーの
世界にようこそm(_ _)m












私が生まれて最初のお守りは
↑これです。
一生モノです。
なんでも失くす私が
0歳から持っているものって
これだけじゃないですかね~?
これがあるせいも多少はありますかね?
お守りは
一生ともに。
という信念はビクリともしません。














の続きです。
お守りー守札が誕生した頃は
木製でしたから(多分)一生モノです。
時代劇とかで木製のお守りを
首に下げている場面とかあるでしょう?
↑今でも成田山新勝寺などのお守りは
下げられるようになっています。
お守りのあるべき形だと思います。









 
   



よく知られているのは
キリスト教のクルスでしょうか?
でもこれって「死体?お墓?」みたいな。
私はあまり良い印象がなくて
ファション的にも持ちませんでした。
言わずもがなで
日本の神々は呪具を下げています。












呪具を首に下げるというのは
私にとっては基本中の基本です。
とエラソーなことを言うと
いかにも何年もかけて
数珠魂を準備したように思うかもしれませんが
全然です。
成り行きで百祓いを始め
成り行きで千祓いになったのです。
宝守は「伊勢神宮」ですので
最初から神棚に上がっていましたが
その時に偶然玉石が神棚の下にあり
偶然ハンカチケースが横にありました。







ン(☉。☉)!
偶然?


この世に偶然はありません。
まだわかりませんが
必然的に意味があるでしょう。














宝守は一本の綿糸を針に通し
二本取りにして
一息に縫っております。
解けば長い途切れのない糸です。
念を切らさず通す。
解けば接ぎのない一枚の布になります。
一枚岩のように強く。
継ぎ接ぎした布は弱いですからね。
引っ張られるとほつれます。
そして「伊勢神宮御残材」を
真綿で包み一本糸で三度巻いて
玉結びで結んでいます。
神力を込める呪術です。
その上で綿糸で三度くくり結び
遊びの余裕をとっています。
宝守を込めている時は「難病の子供」を
助けることしか頭にありませんでした。
今考えれば
立場も考えぬ大馬鹿ですけど
なんか
助けられる
と信じられたんですよね。
御残材はいろいろな奇跡を
起こしていましたからね。














そんなわけで
難病の子供
助かるまで
しか想定してませんから
御残材の力が直接届くようにと
出来る限り混ざりけのない昔の純綿記事で
真綿で包み綿糸で縫い綿糸で占めました。
万が一にも
健康な子供がずっと持つ。
健康な大人がずっと持つ。
健康な年寄がずっと持つ。
ということなど
これっぽっち
も考えたことありませんでした。
↑あんな百ばあちゃんの付け方など
想定の範囲を越えていましたよ。
お守りは
洗っちゃあいけません!



 













宝守は伊勢神宮御残材ですから
神棚のように考えても良いと思います。
大げさなことではなく
自室かリビングの腰より高い物の上に
下げるか置くかしておいて
万全を期したい時に同行して
いただきましょう。
小さい袋に入れるかハンカチで包み
バッグの中に入れても良いですし
たまになら百ばあちゃんの↑アレも
良いと思います。














そんなことを想定していたわけは
絶対にありませんが
たまたま千祓いが込められた玉石があり
たまたま宝守と一緒に
千祓いを込めさせていただいていた
というので宝守の代わりに
身につけていただければ良いよ。
とお考えが降りて来ました。
計画性皆無のわりに
最高の案でした。










だけど
どうにも悔やむのは
どうしてもっと大きい玉石を
買っておかなかったんだろうと
いうことです。
本当に
小さくて
ごめんなさい
m(_ _)m






すいませんm(_ _)m
続きます。













「千祓いの祈願 千二百十回」

とほかみ えみため

はらいたまへ きよめたまへ

私の柱が神事ー伊勢神宮ですから
この話題はいくらでもしゃべれます。
いくらでも書けます。
質問に全然答えていませんが
もう少しお付き合い下さいm(_ _)m