今回は闘病記です。
後でスピ記事あげます。
☆シャーの
世界にようこそヽ(。◕o◕。)ノ.
本当に
退院してからの5年間は
神さまがくぅくを遣わして下さった
夢だったのかもしれない。
重度脳梗塞で半身麻痺
座ることも立つことも出来ず
やっと車椅子で院内移動になっても
全面介助で自分では乗ることは出来ない。
腹筋も右半分が麻痺しているので
座っている姿勢を維持出来ない。
もちろん顔も半身麻痺なので
ほとんどしゃべることも出来ない。
そんな状態で咽頭がんステージ4告知で
首の太さの3分の2を切除すると言われ
手術したい殺人医師に追われた。
半身麻痺がなければ
首のギプスで固定して
車椅子に座るなり歩くなり
出来るのかもしれないが
現在すでに半身麻痺で座れもしないのに
首の3分の2を切除したら
最善でも植物人間になる。
殺人医師はどうしても手術をしたいから
「万が一植物人間に
なったらウチの病院で
生涯面倒みます!」
と言いやがった。
そんな話を患者が信じると思うほど
手術をしたい未経験の殺人医師だった。
お菓子が欲しいとバタバタ暴れて
泣き叫ぶクソガキにしか見えなかった。
欲しいモノはなんとしても手に入れる。
チヤホヤ育ち抜いてしまったクソガキ。
残念ながら狂った医師はかなりいる。
私が脳梗塞後遺症で少しでも
意識障害があったら
私はヤクルトほどの太さのツギハギの首で
のたうち回ることも出来ずに
間違い無く2ヵ月で狂い死んでいた。
もちろん声帯切除で気管切開。
しゃべることも食べることも出来ず
起き上がることも座ることも出来ず
寝ていることさえ不可能に思えた。
しかも脳梗塞の治療を中断しての
手術経験医師の強行手術である。
手術中に脳梗塞再発は必須に思える。
殺人医師は私が再発して脳障害を
起こして判断が出来なくなることを望んだ。
手術後に虫の息だろうが
息をしていれば手術は成功と発表出来るし
脳障害なら私が望んだ手術だと言い張れる。
群馬大学病院
腹腔鏡手術
8人連続殺人医師と同じだ。
現在の司法では
「手術」という殺害方法は
百人殺しても無罪だ。
連続殺人医師は今も医師で病院勤務している。
手術をすすめられたらとことん
グーグルの先の先まで調べた方が良い。
病院の意見は正しい。
絶対に正しい。
病院の指示通りにする。
私の身内も友人も
病院を妄信していたので
病院に逆らうようなことはしない。
私がどうして手術したくないかを
口頭で説明出来ないし
右腕が麻痺なので筆談すら難しい状態だったが
時間をかけて全身(半身)で抗議した。
嘘のような話だが
手術を断固拒否したのに
数日後に私の神経内科の入院ベッドに
突然耳鼻咽喉科の看護師が5人ほど
大層な点滴器材を運び込んで来て
何の説明も無しに点滴を打とうとしたことがある。
「なにこれ!」
と私が叫ぶと「咽頭がんの手術の準備です。」だと。
呆れて物が言えないがこんなヤツがわりといる。
そして私が一番恐怖だったのは
神経内科の担当医師と看護師が
知らぬ存ぜぬを通したこと。
手術の練習体を手に入れる体制は
病院ぐるみで外部相談機関もグルが多い。
医師が人体実験を決めたら98%逃げられない。
医師を信じて人体実験を施され
死んでいった人死んでいく人がいる。
そんな病院の闇に関わらないためには
無駄金になるかもしれないが
無病でも健康診断に通うとかで
信頼出来るかかりつけ医を選んでおくことだ。
定期的に神社で祈願することだ。
私はそんな「初めての恐怖入院生活」を送り
神経質だから植物人間なんて
絶対に嫌なので本当に死にたかった。
切り刻まれて痛みに叫んでまで
生きる気は全く無く死にたかった。
本当に本当に死にたかった。
無傷で死にたかった。
車椅子とベッドの移動でさえ
↓私の場合は右半身麻痺だから
介助者に抱きつくことも出来ず
スウェットパンツの後を掴んで
持ち上げてもらっていた。
車椅子に座ったところで利き腕の右が
ぶら下がったままなので
車椅子を漕ぐことすら難しい。
だから病院の外へは出られず
窓は開かず屋上は高いフェンスだ。
「病院から出してー!」
と叫んでも逃げることは出来ず
死ぬことも出来なかったのだ。
そう。
私はどう足掻いても死ねなかったのだ。
その後神さまと「正義のワーカー」に
奇跡的に助けられ生きて出られ転院した。
総合病院で1ヶ月大学病院に3ヶ月
一度も外出出来ず入院治療を受けた。
4ヶ月後に退院してもなおも
「リンパ4ヶ所転移でリンパ郭清手術」
が必要だと言われた。
早期発見が叫ばれる現在
手術体はぐんと減っている。
しかし手術経験を積みたい医師は増えている。
若手医師のテレビドラマでも出ていた。
手術したい!
と全ての医師が望んでいる。
私は郭清手術も断固拒否したから
いつ再発しても仕方がないと思っている。
半身麻痺の寝たきりに
咽頭がんの再発と脳梗塞の再発に
外道エンドウの顎骨壊死
もう死産から数えて何回死んでんだって
状況のなかで体を切ることもなく
痛い思いをしたこともなく
4ヶ月の入院生活を終えて退院した
それだけでも十分ありがたい。
そしていろいろありすぎて忘れていたが
重度糖尿病で1日4回の
インシュリン注射も必須であった。
(ノಠ益ಠ)ノ彡┻━┻できるかーい!
これも十分生気を削ぐ一因にはなった。
☆車椅子なんて(ヾノ・∀・`)ムリムリ
退院した時は私の家が古く狭いため
車椅子対応が出来ず寝たきりの状態から
床に2センチの厚さの板を置き
片足ずつ上がって下りての訓練から始めた。
誰もが妄想のように考えていたが
私はくぅくを公園に連れて行きたかった。
イスに座っている時も
足を交互にあげて麻痺足は手で持ち上げた。
くぅくがいたから歩きたかった。
毎日毎日家の中で本当に
数cmずつ距離を伸ばし家の前の路地に
出られた時に「歩けるかも」と希望を持った。
毎日の運動とも言えないほどの
1分2分の足掻きから5分10分になり
家の外に出られるようになり
多分そのおかげで糖尿病は無治療になった。
家の中の歩行訓練からずっと
くぅくがついていて待っていてくれた。
くぅくがいなければ私はとっくに死んでいる。
長くなりましたので
次回に続きます。
☆タクちゃん大きくなりました。
そろそろオッサンです。
「今の生活は病院のベッドの上で
昏睡状態の私がみている夢」
であっても不思議じゃないのです。
私は悪いモノ魔鬼を寄せる生業の
せいなのか現実的にも
悪意を寄せることが多い。
見えない世界でも
見える世界でも
よく死ななかったと思う。












