私は神さまを祀れる器じゃない。
それは最初からわかっていた。
神さまに関わろうなんて
ただの一度も思ったこともない。
寺も神社もいっしょくたの人間だったし
時間を定めて動くのが苦手なのだ。
とにかく時間に関してはだらしないのだ。
何が「神経質真面目のA型だ!」と
思われるでしょうが
本当なのだから仕方ない。
アラフォーでマネキンを始めるまで
遅刻をしないことはなかった。













そんな時間にだらしない人間が
神さまを祀ろうなんて考えるわけがない。
なんかいろいろ面倒くさそうだし
失礼なことすると罰があたりそうだし
とてもじゃないけど関わりたくない。
それなのに何故祀っているかは
今語りたいことではなく
ーだらしない人間自慢ーでもない。















いつ
こんなことに
なっていたのか
わからない…







 








16日の地震だろうか?
あの頃の私は
異常に眠くて眠くて
くぅくの散歩以外は
ベッドで本気で寝ているか
キッチンのイスで半寝か 
くぅくの散歩も1日1回に
なってしまっていた。
(脳梗塞の再発が気になった)
歩かなければ
足の動きが鈍るので
歩くのに時間がかかるし
疲労も大きいので
翌日も歩けないという
悪循環に陥っていた。
山(散歩)で祝詞を唱えさせて
いただいていたが
山(散歩)自体が減っていた。
日々の呪い祝詞は
毎日欠かさず
ブログに込めさせて
いただいてはおりました。



☆タイミング的に笑いたくなるが
たった今かなりな地震
「この世に偶然はありません」から
きっと地震で倒れたのでしょう。











そんな体調だったので
なんとか散歩(歩行訓練)は行っていたが
とても2階には上がれなかった。
16日の通院も行けなかった。
そして
魔の22日
死人の私が2階にあがれるわけがない。
私が悪い。
私が悪い。
私が悪い。
いつからこんなことに
なられていたのかもわからないほど
私は気力が萎えていたのだ。
だから
最初から私は出来ないと
最初からさんざん抗ったのだ。
私が相応しいと言えるのはたった三つだ。















神祀に相応しい三のことは
一欲がない。
ニ嘘をつけない。
三まっすぐ。
でもそれは
そのまま
最悪の欠点になる。
そのうえに
山ほど欠点がある。
だから抗ったのだ。












この伊勢は
何故
私を選んだのか?





全くわかりません。






「千祓いの祈願 千十四回」

とほかみ えみため

はらいたまへ きよめたまへ

今まで数え切れないほど助けていただき
ほとんど普通に暮らして来れました。
今年のお花見はくぅくが連れて行って
くれなかったけどね。.·´¯`(>▂<)´¯`·.
そのうち詳しく書きますが
くぅくが即死でなくて大怪我して
苦しんだら私は壊れていたので
やはり助けていただいたと
感謝しています。