呼ばなければ良かった。
喜んで走って来て
タクシーが見えなかった。
私も見えなかった。
毎日通っている歩道の
タクシー会社の入口で
タクシーが一時停止をしなかった。
私がもう少し
早く歩いていたら
事故はなかった。
出掛けに鍋の底が焦げているのを
見かけたので
洗いかけたがやめた
洗いかけなければ
もしくは洗っていたら
事故はなかった。
10時半遅いし寒いし
一日中雨で
行こうか止めようか
散々迷っていた。
止めれば良かった。
いつもは必ず
ご飯を食べて行くのに
食べなかった。
おかしいと思った。
止めれば良かった。
玄関のメダカにエサをやろうとして
手袋をしてしまったからやめた。
手袋外してやっていれば良かった。
あまりに
些細なことが
緻密に流れていて
涙も出ない。
轢かれて
「くぅく!」と呼んただら
シッポを振ったので
大丈夫かと思ったけど
多分即死だった。
良かった。
くぅくは何も感じない。
死んだこともわからない。
良かった。
くぅくを置いていく気は
ないから片腕で抱いて
壁に寄りかかりながら
長い時間をかけて
一緒に帰って来た。
私は血だらけ。
くぅくはまだあたたかい。
一緒に帰ろう。
呼ばなければ良かった。
たったそれだけのことで
私の大切な大切なくぅくを
失くすわけがない。
世の中に偶然はありません。
決められた運命?
それでも
私は後悔を重ねていく。
行かなければ良かった。
1秒の何分の一という
緻密な時で世界は動いている。
見えないだけだ。
逃れるのは
時の流れの外へ出るしかない。
私の人生が終るのか。
金ちゃんもグーグーも
くぅくもうらも
おいて逝きたくないので
連れていこうか迷っていた。
そういうことなのか?
くぅくがいるから朝が来た。
くぅくがいるから外へ出た。
くぅくがいるから歩いた。
くぅくがいるからご飯食べた。
くぅくが生活の柱だった。
明日からどうしよう。
朝は来るのだろうか?
私は人生最愛のにいこを
猫エイズで失くしたので
いまだに後悔している。
猫エイズは口内炎で水も飲めなくなる。
「万一にいこが猫エイズになったら
苦痛が酷くなる前に安楽死してやる!」
とずっと言っていたのに
いざとなったらインターフェロンだの
新薬だのと足掻くだけ足掻いて
散々苦しめてしまった。
だから私を含め「死の苦痛」はまっぴらだ。
くぅくが即死というのだけはありがたい。
何か病気になって苦しむくらいなら
元気な時にポックリというのが願いでしたから
ありがたいですけどまだ早過ぎる。
本当に
悲しいと
泣けない。
というのは真実みたいです。
現実に起こったこととは
まだ認識出来ないんでしょうね。
あっいろいろ言いましたが
私が120%悪いです。
私が殺しました。
今私
異次元にいるような気がします。

