こんばんは!





前々回の続きです。
霊言というほど大事な内容は
私が聞いた限り
ひとつもありませんでした。
ああ
でも百歳のおばあさんを
天国から迎えに来ていたおじいさんの
「霊言」は感慨深いものでした。
いずれ書き直すつもりですので
お待ち下さいm(_ _)m












長い長い年月のほとんどを
夫婦ふたりきりで生きて来ました。
若い頃は中国で苦労したそうです。
幼い娘3人をおぶり抱き抱え
日本の故郷に帰って来たのです。
娘たちを必死で育てましたが
この辺りの子供たちは中学を卒業すると
家を出て町に行ってしまいます。
子供たちが家を出て50年以上を
ふたりきりで生きて来ました。







おじいさんが亡くなると90才越えの
おばあさんひとりきりでした。
(今思い出しましたがこのおばあさん
の山のひとり暮しはNHKで
ドキュメンタリーで放映されました。)













懇意にしている近所の
前田さんのお嫁さんのご両親です。
前田さんのおじいさんのお葬式に
おふたりでいらしゃった際に
おばあさんの喪服の着付けをさせて
もらったのでおふたりとは
一度ですが面識がありました。
おじいさんは人生でネクタイを
結ぶことが数度しかなかったので
結ぶことが出来ずに私が結びました。













おばあさんが亡くなる
1~2週間前ですかね?
前田さんにおばあさんの今の写真を
撮って来てくれるように頼みました。
2~3日後くらいですか
前田さんが写真を持って来ました。
視る必要もありませんでした。
誰にでも普通に見えます。
迎えに来たおじいさんが写っていました。






おじいさんは私に
「お米を持たせて」と言いました。
ここら辺のことは記事に書いているので
省きますがおばあさんに
半紙に包んだお米を(枕元に)持たせました。
そしておばあさんは
迎えに来たおじいさんと旅立ちました。






おばあさんの納骨の時に
「お米」の意味がわかりました。
この地方ではお墓に入る時に
周りにお米を撒くのだそうです。
おじいさんの葬儀は娘たちで相談して
神式にしたのでお米は撒きませんでした。
ただ神式だと法事だか供養だかで
お坊様が頼めないとかなんとかで
おばあさんは仏式にしたらしいです。
仏式だとお米を撒くのでしょうか?






100才だと大正か明治でしょうか?
納骨の際に必要な「お米」を
旅立とうとしているおばあさんに
前もって持たせて
娘たちに手間をかけさせないようにと
思いやったのでしょう。
なんか明治の男の気骨を感じます。
ひっそりと振り向くこともなく
おじいさんの後に付いて
おばあさんは逝きました。
結婚式よりも幸せだったでしょう。
人生の苦労も孤独も全部帳消しです。






大往生です。



もうお葬式も悲しみはひとかけらもなく
笑顔に包まれていたようです。
「大往生」って言葉はよく知りませんが
こういうことをいうのでしょう。
天晴れなご夫婦でした。
霊言なんて聞いたところで
何の役に立つんだろうと今でも思いますが
おじいさんとおばあさんが
旅立つ時に「お米がない!」と
まごまごしないで済んだだけでも
十分かなぁと思うことにします。















「千祓の祈願 三百六十六回」

とほかみ えみため
はらいたまえ きよめたまえ

私の半身麻痺も調子良い時もありますが
こう寒いとギシギシで歩きにくいです。
体のどこかに潜んでいるガンやろうもね。
良くなったり悪くなったように感じたり
でもね。感じるだけです。
牛歩だろうがありんこの歩みだろうが
絶対に良くなっているんです。
疑ったり迷ったりすることもあるけど
みんなみんな良くなっているんですよ。
信じて!それが力になります!