ちえちゃんのブログです💌

1945年 昭和20年8月6日が広島

8月9日が長崎に原爆が落とされました。

頭に叩きつけられている

この日にちですが

最近はそんなの知らないと言われる若者も増えてきました。

残念というか

その無知な事に腹立ちを感じる事もあります。

私の場合

高校の就学旅行が広島県で広島原爆資料館、平和公園を訪れましたが

私は長崎県は行った事なかったです。


今回はじめて長崎県に

軍艦島に行くのが目的でしたが

長崎県に着いた日に長崎原爆の地に

行って来ました。1月4日

1月5日に軍艦島へ


長崎県は路面電車🚃に乗って

地図を見たら

はじめてでも分かりやすいと思いました。


14時頃着いたのでホテルに荷物を下ろして

路面電車で原爆前で降りて

原爆資料館から拝見しました。

そして浦上天守堂

永井隆先生の如己堂

平和公園へと

冬ですので

暗くなりかけて終わりでしたが

スムーズに見る事が出来ました。


平和公園が

広島でも爆心地となってました。

長崎県でも平和公園が爆心地

公園というのは平和であるから

利用出来るのですが

必ずそこでは戦争とか地震とか

不幸な出来事があって成り立っていると最近は理解してます。


長崎平和公園は

実は私 それは知らなかったのですが

長崎刑務所 浦上刑務支所のあった場所だそうです。

平和公園の入り口近くに被曝した刑務所の

石の壁があり

悲惨な状況のまま残っておりました。

そして

刑務所の建物のあった残骸が今でも残っておりました。

刑務所におられた

刑務官、罪を犯して収容されていた方は亡くなったようです。

刑務所の収容は放射線状に収容している構造になっているのですが

それは現在残る奈良少年刑務所の跡を見てもわかります。

その残骸が無惨にありました。

放射線にあったのを思わすような雰囲気


そして長崎原爆の平和の像がのちに作られてました。

広島でもそうですが

原爆投下のあとには皆んな

最後の言葉は『水』なんですね。

なので

噴水があり

水でまわりが満たされてます。

飲まなかった方にお水をあげたいという思いです。


平和公園の平和の像から

全てが見えるように

なっているのが

びっくりしましたね。

長崎の場合は

後で分かったのですが

路面電車を降りたら

直ぐに平和公園だったのですが

道を間違えて遠回りをしたようです。

それで良かったと思います。

それで全部行けました。


健脚な方には階段を登って

足の悪い方にはエレベーターになっておりました。

誰でも見れるようにしてあります。

また噴水を含む水の流れも

色々な国から贈られた平和に関する銅像が色々ありその国の思いも感じました。


平和資料館は

昨年は広島を見て

今年は長崎だったので

ウランとプルトニウムの被曝の仕方が

説明出来ませんが

プルトニウムの方が強いと熱線も違うし

後遺症も違うと思いました。

熱線の凄さが皮膚に叩きつけている

長崎の方が目立っているように思います。

首とかに

皮膚が引っ張っているような

広島は皮がめくれている

皮膚剥離が多いように思いました。

熱線が叩きつけられているように感じました。

広島も長崎も

どちらも優劣付けられないのですが

差を感じました。

展示の仕方も

違うように思いました。

広島は遺品が多い

長崎の方が少ない

広島は原爆ドームという世界遺産がありますが

長崎にはない

つまり頑丈な建物もなかったのか

あるのは浦上天守堂なんですが

建物の被曝状況を建物として後世に残せなかったが

浦上天守堂を復元とした形で原爆の状況を残している。

また建物の瓦礫の一部を展示されていました。

廃墟の世界遺産は軍艦島でも

原爆ドームでも建物が風化しているので保存がこれから非常に難しいという課題があるかと思います。


長崎原爆の被曝について

当時の方

医療従事者は

後遺症について

半径を描く

放射線による斑点が身体に出来るのが1週間、1週間で広がっていくのを感じておられました。

また明日は我が身かと思っておりました。

爆心地から半径を描いて

近いとこから遠いところへ

元気な方が突然に亡くなる


見ていて

コロナ感染と同じような

感染症と似ているような広がり方のようにイメージしてました。

被曝の広がりと同じように感じました、


放射線の広がりとして

被曝した方がいる中で被曝地に入るだけで二次被曝している姿が

被曝の全身への悪化で赤斑点が出来るのが

ウイルスの感染症のそれと

同じ感じで広がりをみせるというイメージを館内にいて思いました。

だから病気がうつるはウイルス感染ではないですが二次被曝なのですが

医療従事者がこれはと思うのは分かるように思いました。


永井隆先生は早い段階で放射線と分かっていて

その専門だったので

どのような病気の出方をするのか

分かっておられたという事も理解して治療に当たってきたと理解出来ました。


広島が

紙屋町という

日本家屋の賑やかな所に原爆が落ちた。

長崎は

カトリック教徒がいるという浦上天守堂と

罪を犯した人がおられた刑務所の場所に原爆が落とされた。

長崎に関しては信仰と原爆

罪に対しての服役としての反省に原爆

長崎は広島と比べた時に

宗教的な

私には分からない

運命的な物を感じられます。