ちえちゃんのブログです💌

長崎に行った際に

必ず行きたい所ありました。

ご存知な方は知ってるけど

知らない方も多いかと思います。


長崎原爆の後に

負傷者の医療を自らも被曝されて尽力を尽くした

カトリック信者で

負傷後 自らの命が短いと分かった時に数々の本を書かれた方です。


永井隆先生

私が先生の本を読んだのが

長崎の鐘です。


あとテレビでもしていたかと思います。

娘がカトリック幼稚園に通っていたので

幼稚園のパンフにも載っておりました。


今でこそ

放射線科というのは当たり前ですが

戦前はなかった

その勉強をはじめた方

また

放射線を扱うので

被曝での放射線だけでなく

被曝時に既に白血病になっておられました。

そして

戦後の療養、死亡

その間に残された子供たちに

その思いを書き連ねます。

被曝された方がもう既に

未来の医療

放射線の専門家であったという事にびっくりしました‼️

そして神様はそれを選ばれた事

また放射線専門の方が

晩年 プルトニウムという放射線物質と向かい合わないといけない現実

なんという巡り合わせなのかと

皮肉たというのが素直な感想です。

またその事は永井隆先生も思っておられました。


如己堂という三畳一間のこの小屋で療養されました。

写真参照してください。

お部屋に

マリア様もおられました。

爆心地であった浦上天守堂の近くにありました。


資料館もあったのですが

時間まで間に合う事出来ず

入れませんでしたが

資料館の方が平和公園の道を教えて下さりとても親切でした。

パンフも頂きました。


私の関わる方で1人

被曝二世の方がいます。


お母様が被曝

昭和40年代にその方を出産されますが

産んだ後に白血病を発症

亡くなります。

その方 3歳

命懸けの出産だったと思います。


障害があるのはその事と関係あるのかないのか

医師に聞いても誰も回答をしてくれませんでした。

それほど原爆は難しい分野だと思いました。

永井隆先生の亡くなった地にたどり着いた事に感謝します。








永井隆記念館








お部屋の中




マリア様






被曝マリア様