こんにちはジンデです。

 

今日の大阪はすごく晴れて暖かくて春の始まりを感じさせてくれています。

来週はまた寒くなる予報なので、寒暖差で体調を崩さないように気を付けて

過ごしたいと思います。

 

去年の2月15日は役所に離婚届を提出した日です。

その時の僕の心境を記事にしました。最後まで読んでいただけたら幸いです☺️

 

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【止まらない涙】

 

2020年2月12日から私の二回目の入院生活が始まりました。

 

入院当日、妻に入院したことを伝えることができていなかったので、

私は落ち着きがなかったと振り返ります。

 

それから三日間の閉鎖病棟での生活を送りました。

 

早く退院して妻に今の状況を説明しないといけないと思っていました。

 

五日が過ぎた2月17日に私の母がお見舞いに来てくれました。

今の心境や早くここを出て妻に話をしないといけないと思っている旨を

伝えました。

 

すると母の口からは想像もしていなかった返答が返ってきました。

 

「あなたたちは離婚しました」「今は自分の体調を第一に考えてください」

 

私は受け入れることができませんでした。

 

離婚届など見たことも、サインした筈もなく、どうして...?

 

すると私の実兄が代筆したとのことでした。

 

勝手になぜ?私の意思わ?私という人間の存在意義を全て否定されたかのようでした。

 

母親に何を言っても仕方ないと悟った私は、

今日はもう帰って欲しいとだけ伝えました。

 

 

その日の夜、私は看護師さんに今の状況を伝えて、

一度だけ外出許可を頂くようお願いしました。

 

妻の元に今すぐに行かなければいけない。

説明しないといけない。使命感でした。

 

しかし、思いとは裏腹に主治医と入院中に受診できるのは週に一度、

体調次第では二週間に一度と看護師さんに説明を受けました。

また外出許可も主治医の見解と診断を受けないといけない為、

外出できるのは早くて受診のある二日後です。

それもあるかないかわからない受診を待たないといけないという状況になりました。

 

私は取り乱していました。

私は元々の性格上、怒り?焦り?の感情がうまくコントロールできなく、

暴言や暴動は起こさないものの落ち着くことができずにいました。

 

そんな姿を見た看護師さんは私に「頑張ったね、辛かったね」「でも自分を大事にしてね」

「ここは病院で休むところ」「何も考えなくっていいよ」と同情と心配した表情で言葉にしてくれました。

 

私はすごく気遣いで、強がりで、見栄張りな性格で、人前で涙を流すことなどありませんでしたが、

この時だけは、溢れる涙を止めることができませんでした。

 

 

私は勘違いしていたのかも知れません。

何も考えれなくて入院したのに、何かを考えようとしていたのです。

何の為に入院しているのか?なぜ入院したのか?など、考えることが、

ストレスになり、病状を悪化させる要因になると思い知らせれました。

 

精神疾患には病状を悪化させる二つのギャップがあると私は考えます。

 

・理想(夢の自分) と 現実(今の自分)のギャップ

・自分のキャパシティを超える目標を達成させようとするときに生まれるスキルギャップ

 

それぞれは自身の想いや環境の変化が創り出すもので、知らずうちに大きなストレスになり、

なかなか変えられないモノになるのかも知れません。

 

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最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます☺️

 

次回は、入院生活で書いた日記や読んだ本から

学んだことなどを記事にしていきたいと思います。