荒川西岸の多聞寺から少し西へ歩き隅田川東岸の堤通へやって来ましたあしあと

榎本武揚銅像の背後に見えるのは都営白髭アパート目

高さ40mの高層団地を1.2kmに渡って配置された国内に例を見ない長大団地

棟間は完全に繋がってはおらず地震の揺れに耐えられるジョイントで接続している

災害時には閉鎖される防災ゲートが5つあり北から2番目にあるのが「梅若門」

判りにくいですが団地通路の壁には放水銃が供えられています目

内側から見た「梅若門」これから行くお寺さんに繋がる名称になっています

遠くにスカイツリーが見えていますカメラ

少し離れてみると棟間を接続するエキスパンションジョイント通路が判ります

団地西側の隅田川沿いは防災機能を備えた東白髭公園として整備されています

災害時には8万人を収容できるよう設計されているそうです

隅田川東岸に建つ

天台宗 梅柳山 木母寺 別名「梅若寺」 ご本尊慈恵大師(元三大師)

左手の建物が本堂で右手の目立つ建物は納骨堂です

境内奥に蛇の姿をした蛇身弁財天が祀られていますカメラ

身代り地蔵尊

境内には沢山の石碑が建っています

石碑は30基あるそうですおーっ!

中央に建つのは高さ5m幅3mを超える都内一の巨碑

伊藤博文の書による貿易で成功を収めた田中平八氏の石碑だそうです

硝子張りの覆堂に納まっているのがゲートの名称にあった梅若堂です

梅若伝説とは平安時代人買いにさらわれてこの地で亡くなった梅若丸という子供と

その子を捜して旅に出た母親にまつわる話

「たずね来て 問わばこたえよ 都鳥 すみだ河原の 露ときえぬと」

能、歌舞伎、謡曲、浄瑠璃等の「隅田川」に登場する文化的旧跡として著名な処です

梅若塚

梅若念仏堂

梅若丸の母、妙亀大明神が梅若丸の死を悼んで墓の傍らに建設したといわれるお堂

堂内の三像カメラ

左から梅若丸「山王権現」芸の神様「伎芸天」梅若丸の母「妙亀大明神」

本堂

階段を上がって行きます

扁額

本堂内お願い真顔

此方の御朱印は本堂下の寺務所前に書置きで置かれています