久しぶりに井戸と井戸端の話を聞く。

ただ、橋渡し型と結束型など多くの話が抜けてるのでいつになったらアップデートされるのだろうと思ってたりする。

なので、井戸と井戸端という話を久しぶりに聞いたのでSNSについて書いてみる。

その前に、専門は社会心理学と情報学。機械学習などをやっている。

また、最近では安田雪さんの本に続いて、社会学関連の文献を様々読み、アメリカの精神科医エリック・バーンの本など読むようになっている。



流行りのアドラーなども当然読んでいる。

しかし、色々詰め込むと混乱してる部分もあるので1年かけて修士論文の為に整理していこうと思う。

本題としては、久しぶりに聞いた井戸と井戸端会議だが歴史的には井戸の周辺は公共の場だったのでパブリックだった。

だが、井戸自体が減っていく事により会議の場は公園になった。

時代が流れ変化していくと、子連れのママ友など公園は特定の人間しか使わなくなった。

現代社会においては、公園だけにとどまらず、教養講座やインターネット・チャットなどに世間話や噂話の場所、方法等様々なものが出てきたので大きく変化を遂げた事により、顔の見える世界から顔の見えない奇妙な世界になった。

今では普通にインターネットを活用したSNSや電子掲示板などを井戸端会議の感覚で用いるようになる。

しかし、単純に生活地域などで括られると人それぞれ生きてきた背景が異なるので、参加者同士が誤解をしたりする。

それが世界規模になると「流言飛語」が拡散しトラブルが井戸の外になるので、SNSができた時から井戸と井戸端会議の思考に関しては疑問があった。

なぜならば、日本の掲示板やSNSなどは基本井の中の蛙で井戸の外は広いという考えがなく言いたい放題だからだ。

文化や、住む所、学歴、性別などが違えば考えも違うという考えに人間がITの速度に合わせてついて来れてないないからでもある。

ついて来れてる人はいるかもしれないが、ついて来れてない人の方がまだまだ多い。

なので、そういった人々が交流分析できるようにして行くべきだと思うし、その中で世界には色々な人が存在し考えも様々である。

衝突も当然なので無駄な衝突を防ぐには相手の背景を思う道徳的に優れた寛容さを持つべきだと思う。

また、交流分析のコミュニケーションから基本的な交流パターンを分類すると相補的交流(適応的交流)・交差的交流・裏面的交流(仮面的交流)に分類される。

そして、表面にでない交流パターンは「相互的交流、人格的交流、人間的交流、作為的交流、共感的交流、相補的交流、風刺的交流、功利的交流、防衛的交流など」があり、防衛的交流にはさらにいくつものパターンが内包されていて複雑だったりする。

この事から、人は他人の人間関係を正確にはなかなか理解できないという認知制約があるし、今のソーシャルを見ると他者を利用するというイメージがどうしてもつきまとってるのでは無いかと思う。

なので、利他主義では互恵主義に基づき行動すれば、人々が他者と関わろうとする際の警戒心も減少するのではと思う。

そういう自分も大学院に行くまではビジネスだと思われていたが大学院に行く事によりネットワークが広がったので、人というのはネットを使ってる人ほど利他主義なのではと思う所が多い。

まだまだ、言いたい事はあるがこの研究領域は仮説から出た事が無いので、情報学や何かに囚われず色々な学問を学び何かが見出せればと思う。