今年は満月!見ると飛び跳ねたくなる嬉しいものは?
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日付は「秋分」(9月23日頃)の前後半月の期間(1ヵ月間)の中で変動する。十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。その差は最大で2日である。
中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。「望(ぼう・もち)」は満月を指す。また、俳諧では旧暦8月14日~15日の夜を「待宵(まつよい)」、16日~17日の夜を「十六夜(いざよい)」と称して名月の前後の月を愛でる。
また、旧暦8月15日は、日本の六曜で必ず仏滅になることから、俗に「仏滅名月」とも呼ばれる。英語圏では同時期の満月を表す表現として「Harvest Moon」や「Hunter's Moon」がある。
「中秋の名月」に由来する記念日には「すっぽんの日」「月見酒の日」がある。また、旧暦9月13日~14日の夜は「十三夜(じゅうさんや)」と呼ばれ、中秋の名月に次いで月が美しいとされる。】ということでした。(^L^) ふーむ、なるほどねぇ~・・・。
中秋の名月の時に満月ではないのは何だか損した気分になりちとばかし落ち込んでします(lllσ-д-)σ【|||ブルーな気分|||】
三日月も風情があって好きですがやっぱお月様は満月が一番好きだし眺めていると心が洗われていく気がし幸せな気持ちになります。満月だ~~( ゜∀゜)ノ🌕
で今年は満月!見ると飛び跳ねたくなる嬉しいものはというと出勤時に通り道にいる猫がかなさんが頭ネデナデするとたまに猫ちゃんがニャーンと鳴いてすり寄ってくれるときには最高に嬉しい気持ちになります。ゎ━━ヾ(。・ω・。人。・ω・。)ノ━━ぃ♪
そんなこんなで・・・ホイ本日の気になったニュースはこちらです!
■辻元清美氏と蓮舫氏が安倍晋三元首相の国葬を「欠席します」と表明
※イメージです
個人的には蓮舫氏や辻元氏が出席しても欠席しても全く興味はないけれど、わざわざ案内状を公開して、欠席の表明をする必要は無かったと思う。出席欠席は個人の判断なので構わないとは思うけれどいちいち公表する必要があるのか疑問だし、静かに欠席しておけば良かった。招待状を公開したり単なる嫌がらせのつもりなんだろう。こんな子供の喧嘩みたいな対応して黙って欠席は嫌なのかと思うと呆れてしまう。出席だの欠席だのお誕生日会ではない。何があろうとも同じ舞台で仕事をしてきた仲間の葬儀でこんな風に宣言するのはいかがなものかとは思う。普通の社会人の感覚では考えられない。欠席は案内状をだされたかたへ回答するのであって、誇らしげに色々な方へ向けて発信することではい。それに追悼を押し付けてるといいながら欠席アピールで党員、支持者に追悼しないように言っているように聞こえるて矛盾してる。欠席する事をわざわざ公表してアピールする事に寄って国葬反対を煽って政治利用している。これが立憲民主党の姿勢そのもの。立憲は党としての方向性は未だ迷ってるように思う。だからこのように議員が個々に発言をする。つまり泉代表は完全に所属議員に舐められており、党としてのガバナンスはもう皆無。揚げ足取りばかりでうんざりする。国際問題や戦争の話してる人聞いたことない。自己顕示欲だけ。薄っぺらいパフォーマンスだと思われても致し方がない。そんな狭量では政治力も知れたもの。国葬に出席した外国の要人と野党の議員として会って外交進めようとか全く思ってない。政権とか任せられない。こういうことでしかもはや存在感を出せないんだから、言っては悪いけれど議員を辞めた方がいい。向いてないし、バッジも無意味に感じる。自分の狭い了見の範疇でしか行動できないことを照明している。あと世論では反対派が多数かもしれないけれどだ、真っ当な弔意を持って参列する人も多数いるはずなのに、さも参列する人はおかしいと言わんばかりの物言いは如何なものかと思う。もっと議員らしく堂々かつ理路整然と、国会という論戦の場でその非を鳴らしてくれるなら応援する気にもなるけれど何でこういうことばっかりするのか情けなく思う。世の中、批判するだけで目立つことが多すぎる。こんな見出しばかりを見る若者たちもまた、批判するだけをよしとする価値観が芽生えていないか不安。もっと豊かな世の中になってほしい。世論を分ける提案がされてしまった以上は避けられない状況だけれど、もう少し亡くなった方への思い遣りがある国であって欲しい。国葬の提案が悪いのか、それに反対するのが悪いのかわからないけれど、もう少し、故人や遺族を慮った報道や言動ができる優しい社会であって欲しいと思う。