竹下通りに行ったことある?

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お母さん今日は”クレープの日”だそうです。クレープ好きのかなさんにとってはテンション爆アゲ⤴⤴な日になっております。なして今日がクレープの日なのかくわしいことはちぃとばかしググってみますビックリマーク【埼玉県八潮市に本社を置き、クレープなど様々なスイーツやケーキを製造・販売している株式会社モンテールが制定。

日付は、数字の「9」がクレープを巻いている形に似ていることから。毎月9日・19日・29日と、「9」の付く日を記念日とすることで、より多くの人にクレープの美味しさを知ってもらうことが目的。また、記念日を通して、クレープをもっと身近なおやつにしたいとの願いが込めらている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

同社のクレープには、コク深い生チョコをたっぷりと楽しめる「生チョコの手巻きクレープ」がある。チョコチップ入りの生チョコと、なめらかなミルククリームをしっとりクレープ生地でやさしく巻き上げている。その他、「ドトール・2層仕立てのエスプレッソクレープ」「信州産チーズの手巻きクレープ」もある。

●クレープについて

クレープ(フランス語:crêpe)は、パンケーキの一種で、フランス北西部のブルターニュが発祥の料理。元になったのは、そば粉で作った薄いパンケーキのガレット(galette)という料理である。

クレープは巻いたり折ったりして、様々な材料を包み込んで食べる場合が多い。最もシンプルなものはバターや砂糖だけを巻いたクレープである。生クリームやフルーツ、ジャム、チョコレート・ソース、アイスクリームなどを包み込んで菓子として食べる場合と、ハムや鶏肉、チーズ、野菜などを包み込んで軽食として食べる場合がある。

クレープ生地にフルーツや生クリーム、アイスクリームなどを包んだ日本独自のクレープは、1977年(昭和52年)に原宿カフェクレープが「カフェ・クレープ」1号店を東京原宿の竹下通りに開店させ、そこでメニューとして出されたのが始まりである。】ということです。Ωヾ(゚ェ゚*)ヘェヘェヘェ

たしかに数字の⓽はクレープの牧姿に似ていないこともないとは思うが・・・ちと厳しい気もします汗うさぎ

でかなさんは東京暮らし時代よく竹下通りに行っていました(`・∀・´)エッヘン!!原宿で有名なキッチンカーのクレープの屋さんでサラダクレープとかいわゆる『おかずクレープ』の類をよく人ゴミを縫うように歩きながら食べてました。ŧ‹"ŧ‹φ(c・ω・。)ψ

『こんな風でおなか満足なまさに"

おかず"ですなぁ飛び出すハート

そんなこんなで・・・ホイパー本日の気になったニュースはこちらです!

■13歳“少年革命家”ゆたぼん 不登校継続 初体験ボクシングは「納得できるいい経験」

※イメージです

鉛筆学校が向くか向かないかは人それぞれだろうから行きたくないなら別に無理にこじ付けてまで学校に買わなくてもいいと思う。ただ普通に学校行ってる人たちにとっては罰ゲームみたいに言われると気分は悪いと思う。校登校については「行かない。ただ「行きたい時に行く」と不登校継続宣言したとあるがそれはただのわがままにすぎない。それに彼は4月からの他人の金をあてにした旅行するんだから端から学校なんて行く気は無い。ただ学校に行きたくないから行かないだけの奴が学校に通いたくても諸事情で通えない子どもたちとはまったく別の理由なのに不登校児童に何を話しする気なのかとに思う。そしてそれがその児童や親たちになんの心境の変化を与えられるのだろとも思う。あと今更気が変わったから登校しますと言われて登校されても生徒も教員も保護者も扱いに困惑するだけだから、もうやめとおいたほうがいいし、中学生になる時が学校に復帰できる唯一の機会だったかもしれないのに、自ら調子にのって進学はしないと卒業証書破るなどという愚行を犯しのだから、仮に本心では行きたいと思ったとしても、今更そうだとは言い出せないと思うので行かなくて良かったと言い続けるしかなだろう。大体彼とその父親は日本の学校教育の凄さを舐めすぎである。家でも勉強できるとか言ってるが独学で学校と同レベル勉強を維持しようと思えば学校通いよりも比べものにならない程の金が必要になるし時間の効率も絶対に悪くなる。確かに学校教育というのは問題点も多いのは事実だかとても長い歴史があってどう教育したら子供にとって最適か良く考えられているる優秀なシステムだと個人的には思っているし、あとから行けばよかったと後悔してももう遅い。大学と違って、行けばよかったと気付いたあとから行くことは出来ないので、大々的に発言してしまった手前引けなくなっていたり、親の意思が強く関与していて逆らえないのだとしたら可哀想だと思う。いつも学校や教師を批判している一方、学校に行かなくてもこんなに楽しい・こんなことが学べるという発信は極めて少ない。そういう意味では、ただ何となく毎日学校に行き、教師や学校に不満があっても“そういうもの”として諦めている同年代よりも高い理想を学校に求めているとも言える。誰よりも学校を批判いるのは、誰よりも学校を好きな裏返しなのかもしれない。