好きな植物教えて!

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お母さん今日は”植物学の日”たしいです。なんだか幅が広すぎて迷ってしまう日ですねあせるでも詳しいことはちぃーとばかしググってみますビックリマーク【1862年(文久2年)のこの日(旧暦の4月24日)、植物学者の牧野富太郎(まきの とみたろう、1862~1957年)が土佐国佐川村(現:高知県高岡郡佐川町)で生まれた。

その家は近隣から「佐川の岸屋」と呼ばれた商家で、雑貨業と酒造業を営む裕福な家だった。そして、彼は幼少のころから植物に興味を示していたと伝わる。牧野博士は「日本の植物学の父」といわれ、独学で植物分類学を研究し、94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やした。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。また、新種・変種約2,500種を発見・命名した。佐川小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された。牧野博士が死去した翌年の1958年(昭和33年)4月、博士の業績を記念した建物として、高知市五台山に「高知県立牧野植物園」が開園した。】ということです。∩゙ヽ(。・ω・。)へぇ~やはり昔の人偉人さんはすごいですね(人*uдu,,)尊敬

『こんなサボテンが好きラブラブ

で、かなさんの好きな植物ですが、植物は菅田てたことありませんが見て心がホッとするのはかわいいサボテンですね(灬♥ω♥灬)

てなもんで・・・ホイパー本日の気になったニュースはこちらです‼

■「学校に行けとは言わない。でも行っている人の人生が理解できなければダメだ」EXIT兼近大樹の指摘にゆたぼんパパ「いいアドバイスをもらった」

※イメージです

鉛筆まだ子どもで経験値も少ないので自分の気持ち以上に親の影響もとても強く出ると思う。後悔しないようにと思っても、誰でも後悔することはたくさんある。だから学校に行かないことに関しては親子で決めたことならそれでいいとは思うが、周りの同級生や大人たちだってそれぞれの人生を試行錯誤しながら今を生きているのだから、バカにするような言葉や、卒業証書を破るというようなことは失礼だということを学ぶべき。また学校に行きたくない子どもを無理やり行かせるのもそれはそれで問題だが、ゆたぼんは「学校に行かない自分」に何らかの優位性を感じ、過剰とも言えるアイデンティティを持っているように思える。中学校までは義務教育なので、「行かなければならない学校にあえて行かない自分」が特別な存在に思えるかもしれないが、高校になればそういうわけにもいかない。そうすると、それまで自分の存在価値でもあった「学校に行かない自分」が崩れてしまうわけで、あとに残るのは、小学校も中学校も行かなかった16歳の男の子。ただそれだけだ。言っては悪いが、取りたてて地頭が良いわけでもなさそうですし、中学卒業までにその後の人生を食いっぱぐれないように他者と差別化できる何かを得られればいいとは思う。同年代が苦労したり経験から学んだりしたことを家でひとりぽっちだと何も経験できなくて人間性の成長は見られないと思う。たぶん家にずっといる分には問題ないが、人と交わる機会があった時に困ったり恥ずかしい思いをしたりショックを受けるようなことが年を重ねていくとでてくるはず。果たしてその時に親を恨まずに自分の選んだ道だからしょうがない。ここから道を正そうとなるだろうか、なったとして時すでに遅しとならずに周りが10年以上培ってきた経験や学びを短期間で得る術があるかどうか疑問。いろいろ経験してみた上での取捨選択なら話は分かるが、中学校に至っては頭ごなしに最初から行かないと決めてしまっているところには問題があると思う。学業的な観点で登校する意味の有無を少ない人生経験の尺度で図るのは危険性が高いし、そこを補って寄り添うのが一番身近な親に出来る事だ。ただ、学校生活は集団の中で「個」が育つので、生身の人間関係に触れることは人格形成において重要だし大いに意味がある。ひろゆき氏が言うようにマイノリティーな成功事例を掲げるよりも現実的な数字に表れた結果の重要性は無視できない。確率的に言えば、悪い意味で「ほらね」って周りから言われる“オチ”に向かっていそうで不憫にも感じる