吾輩は〇〇である

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お母さん今日は夏目漱石の日です。漱石氏の誕生日だと思いがちですが、どうやら違うらしい。由来は【1911年(明治44年)のこの日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学務局長の福原鐐二郎に送った】てなことらしいです。Ωヾ(゚ェ゚*)ヘェヘェヘェ
で、吾輩は○○であるですが・・・吾輩は普通である。別段人より秀でているところないし今までそれなりにそつなくごく普通に目立つことなく当たり前に生き抜いてきました<(  ̄ ≧ ̄)> エッヘン!!
そんなこんなで・・・ホイパー本日の気になったニュースはこちらです!
※イメージです
鉛筆正直に言えば減るわけないと思う。呼ばれ方・呼び方は個人の好き嫌いがある。根本的には日本社会全体でいじめについて真面目に考えていないから起きる。特に他人に対して敬意を持つとか、相手に配慮する、と言った基本的なことをできていない大人が多すぎるから。今更大人の教育を行なったところで何も改善しないので、今の子供だけでも学校という特殊な空間で改善させられれば良いが、テレビやYoutubeなどの情報媒体を通じていじめに繋がる情報を当たり前のことと捉えて受け入れている子供が多い。また、それに気づいていない親も多い。そう考えると、少なくとも子を持つ親に対しては子供と同じ教育を以っていじめについて考え、失くしていく行動が必要。この時アンコンシャスバイアス【無意識の思い込み」や「無意識の偏見」】についても学べると、良くなっていく手掛かりが掴めるのではないかと思う。短絡的に何かを禁止や抑制して解決させるのではなく、本質を見極めて防止するというのが、日本の教育には必要なことではないかと思う。あだ名を禁止ではなく、なぜいじめはダメなのかをきちんと教えないと意味がない。「あだ名をやめましょう」なんて、小学生が学級会で決めるようなことで単純すぎる。なぜ根本的な解決にならない対処療法的な方法しか思いつかないのか。あだ名を禁止することで、過去にいじめられた経験がある子ども、今いじめられている子どもが安心するとは思えない。いじめたい子は、いじめる子の名前を本名で呼びながら、声の調子を変えたり、絵を描くなどしていじめをする。名前を呼ばないことでいじめることもできる。いずれにしてもあだ名というのは手段にすぎず、あだ名を無くしたからイジメが無くなるというものではないし、どうしてもイヤだとか傍から見てちょっとヒドイという場合は「相手に止めてほしいと言う」「先生や他の友達に相談する」「クラスの問題として全員で話し合う」といった解決方法を探るべきこと。この手のことは最初からフタをするのではなく、問題が起きたときにそれを如何にして解決するかを考えるようにしないと子供の経験値にならず「問題解決能力」が育たたないと思う。