10月も終わりに近づいてきて朝晩の冷え込みががきつくなってきて身体がこの温度差についていけずダルダル君の日々を送っている今日この頃ですヘナ… _ノフ(、ン、) ヘナ

なんだか秋を通り越して冬がやってきそうな感じですあせるって今年って秋ってありましたっけもやもや夏があっていきなりドーンと冬になったって気がしますね

冬が近くなる毎年脳内に昭和歌謡の名曲紙風船の『冬が来る前に』がリフレインされます音譜

日本的フォークソングの 伝承歌的名曲です。特にサビは一度聞くと頭からはなれませんマイクパー

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■泣く7歳、助けない大人 「何とかしないと」小5が保護

鉛筆通りかかる大人は何もしなかった…残念ながら、その通りかかった大人の気持ちもわかる気がする。おそらくみんな心配はしてるはず。だけど、特に男の場合、いざ小さな女の子に声かけて助けようとしても、違う誤解を受けるリスクあるので、どうしても躊躇してしまう。もし自分だったら自信をもって“声をかける”と言えるかと言えばわからない。今時は大人、特に男性が女児に声をかけたり、連れて歩いたりしただけで思わぬ濡れ衣を着せられる恐怖がある。一度誤解を被るとどうやって解けばいいのかなどと思うと助けたくても迂闊に動けない。関わらずに女児が泣いてるとだけ電話で通報くらいが精一杯。知らんぷりや不親切だけで助けないばかりでなく、いくらかはこんな人もきっといたと思うと切ない世の中になってしまった。誰だって泣いてる子供を見たら「どうしたんだろう?」「助けてあげなきゃ」の気持ちぐらい持ってる。それを行動に起こしにくい社会にしてしまったのは過去に子供が犠牲になる犯罪を幾度となく目にしてしまったから。犯罪者たちが社会に与えた影響と責任は限りなく重い。また今の時代、軽々しく大人が知らない子に声をかける事が出来ない世の中にある。これは、マスコミが過剰な報道や記事内容を伝える事が原因だと思う。迷子の子に話しかけて、交番まで連れて行く、おもしろおかしくこの間を見知らぬ大人が拉致したと報道や記事内容を伝える。すると、世間では良い事をしても、勘違いされて不審者扱いされても嫌だし、どうしてもトラブルを避ける様になってしまう。助けてあげたいし、声をかけてあげたいが、世の中そんなに甘くない。あらぬ誤解を受けたり、不審者扱いをされかねないから、という空気に支配されているからだろう。実際はそんなこと滅多に無いかもしれないし、自分の目的の方があくまでも優先という理由の方が大きいのかもしれない。単に他人と関わらない方が無難という、リスク回避が、いびつであっても主流になってしまっているのは確かだと思う。

しかし、声をかけて助けてあげた少年はとても良い事をしたと思う。この少年のような優しい子供達が増える事を願う。父親の日頃の教育が良い子を育てたと思う。思いやりは大切だと改めて見直す機会になった。これから高齢者は増えてくるんだから学区単位で大人がキチンと子供を見て挨拶する、危険な事をしそうなら注意する、子供たちが近所の大人が自分を見てると思うことになれば何かあったときに顔馴染みの大人に助けを求められるし、高齢者が児童の登下校の時間帯や下校後に遊ぶ公園で見守ってもらえたら子供を持つ親も安心だと思う。この女の子のように大人が誰も声をかけてくれなかった、大人も掛けづらい現状は変わると思う。こういうことは古き良き昭和の時代に習ってもいいと私は思う