あぁ~部屋の窓から見える空がすごっく奇麗な青色しているおぉ♪(*ノд゚*)ノ))
これぞ「ザ・ブルースカイ」って感じです”こんな色”(コードでいうと#89BDDE)です
蒸暑さにへばり倒しておる毎日ですがたまにはこういった清々しい空を見ると少し気分もスッキリします
そんなこんなですが・・・ホイ本日の気になったニュースはこちらです!
■東尋坊殺人事件で少年2人起訴内容認める 殺人や監禁の罪、公判始まる
周りをコントロールすることに以上に長けてる悪魔みたいな人は、そこら中にいる。悲劇的な集団犯罪は大抵はこれが中心にいる。この手に近づかれた時に、どうやってコントロールされずに避けるかだ。物理的に距離をおく。精神的に距離をおく。あとは嘘も方便で逃げるしかない。別の大物に逃げるのも手だ。あくまで、例えばが、新興宗教とか。それでも良いから離れないと、犯罪者になってしまう。確かに横にいた彼らに罪はある。それと同時に主犯はとにかくしっかりと罰するべきだ。主犯格に従う、もしくは逆らえない。この時点でその生き方に根本からの過ちがある。人の生死を前に、死ぬ事を促す事に賛同しておいて、自分は命乞いする、は許してしまってはいけない範囲な気がする。何よりも死を選んだ(選ばされた)人のことを考えるべき。その苦しみを与えた人は、裁判が守ってあげる。って言うでは、亡くなられた人だけ苦しんだって事になってしまう。殺人罪って、ただ「過ち」って言葉以上のものを感じる。命を軽々しく奪ったという行為だし、他人が物申す事は出来ない事案ですが、もしかしたら亡くなられた方が物凄い迷惑を周囲の人やものに掛け続ける行為が、継続的に止まなかったひと、とか、第三者は正直何も分かってない、実際。
こう言った裁判を見ていると、世の中を良くする為ではなく、犯罪者をいかに理由つけて罪を無かった事にするかの知恵比べみたいで、何だかこんな事する為の法律なら無くても良いのでは?と感じてしまう。犯罪者を裁くのであれば、事実は事実でしっかり罪を償うべきだし、あんな場所から落ちたら命が無くなる可能性の方が高く、むしろ無傷で生還する方が奇跡としか言いようが無い訳で・・・自分達がした事がいかに安易な事だったのか、しっかり理解して受け止めて貰うには甘やかしではなく、一生刑務所で過ごして後悔して貰う方が彼らの為にもなると思う。いつまで加害者ファースト、被害者無視の法律で居るのだろう?死んだら居ないから配慮しなくても良い、命がある方が優先と言われてるみたいで…犯罪者が減らないのは犯罪者をまた世に放つから。被害者が減らない訳だ。裁判は人を裁く唯一の機関。ここは亡くなられた方が一般的に良識ある人であったなら加害者に、同情無しでいいと思う。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。