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◆スカーレット【第43話あらすじ】◆『心ゆれる夏』 喜美子(戸田恵梨香)が絵付け師の深野(イッセー尾形)の弟子になって3年。21歳になった喜美子は修行の末、絵付け師の下っ端として認められ、忙しい毎日を過ごす。丸熊陶業の火鉢生産は好調で、喜美子は深野から火鉢の新デザインを考えるよう言われる。その晩、喜美子は妹の直子(桜庭ななみ)や百合子(福田麻由子)に家事を手伝ってもらい、デザイン案を考える。火鉢を使ってくれる人を想像して、喜美子が思いついたのは… (Yahoo!テレビ]より引用) |
昭和34年(1959年)—絵付け工房弟子入り3年目。フカ先生の弟子となって3年目。喜美子は目まぐるしい日々を過ごしています。喜美子は朝一番で工房に入っていることがわかります。
赤い色で熱心に絵付け――頑張っております。
なんでも、よその火鉢や花瓶を集めてきているんだと。焼き物の不用品を、絵つけの練習用に集めているわけです。
ここで、ウンウン言いながらリヤカーを引っ張る喜美子が映ります。
お父ちゃんそっくりやな〜。本作は喜美子とジョーがそっくりで、本当にすごいと思う。父娘にしか見えへん。すごい!
はい、その父の反応ですが。喜美子がわざわざ拾ってきたものを家に運ぶと、これですからね。
「ゴミばっかり集めよって!」
しかも喜美子から「踏まんといてや」言われた直後、足で蹴る今日もブレないダメっぷり😭
ここで時間を遡り昭和32年(1957年)の夏。本作は時系列をシャッフルするので、難易度は高くなっております。
秀男社長は、注文が増えているとフカ先生に言います。これで間に合うのか。悩ましいところ。絵付け火鉢は絶好調でした。とはいえ、ハンドメイドとなればいつ手元に届くのやら……そういう悩みがそこにはあるのです。
量産しない丸熊陶業、人手を気遣うその姿勢、ええよぉ!
「手が足りんのですか?」
「うーん……」
「誰かできる人いいひんやろか」
そんな会話を聞き、喜美子はアピールしています。
フカ先生を見て、頭を下げるのです。社長さんと1番、2番も見つめる。
「いてへんなあ……」
「そうでっか……」
「なんとかがんばりますわ」
喜美子は、もうここは口で言わないと通じないと悟ります。
「あの、うちにもできるんじゃないでしょうか、できる! いやできるか、やらせてください! お願いします!」
しかし、フカ先生はつれなかった。
「……いてへんやろな」
「ああそうでっか」
「なんとかがんばりますわ」
売り上げが上がっているのに悩ましい。そう話がまとまります。
そして昭和33年(1958年)冬――川原家に戻ってきた喜美子は、フカ先生から「ようできるようになった」と言われるようになった!と母・マツに報告します。
父・ジョーは酔態を晒しつつ、寝ていた模様。なんやこの酔っぱらい安定感は😓
喜美子は喜び、そんなお父ちゃんをゆすって起こします。背後ではマツが、素早くちゃぶ台からお調子とお猪口を片付けると。
この、流れ次第ではちゃぶ台返しに行くと想定した素早い動き👍。
喜美子も、お父ちゃん対策はバッチリやで。
「褒められたちゅうことはどういうこというと、絵付けでお金がもらえるっちゅうことや!」
お金がもらえる……そう聞いた瞬間、ジョーは酔いもふっとんだ顔になる。
「ほんまか!」
「ほんまや!」
大声でエキサイトする父娘を、マツが「しーっ、しーっ!」と嗜めます。
ジョーは娘を外まで引っ張ってって、父娘でこうだ。
「あははははっ! ばんざーい! でかしたーでかしたー!」
年代が出ておりますね。ジョーは兵士でしたから、戦前は何かちゅうと万歳3唱でして。それが抜けません。
金儲けで万歳3唱。なんかこう、関西らしさが凝縮されとってええと思う。
喜美子はこうして、ようやく絵付け師としてのスタート地点に立てました。
そして時間はさらに1年経って昭和34年になります。今年の夏、この時期になると新しいデザインを考案するようになります。毎年デザインが変わる。そうなりますと、コレクター魂も刺激され、当たり外れが出てくると。
喜美子はお茶をおきながら、今年のデザインを気にしております。
「どんなんやろ? 楽しみです!」
「見る? 新しいデザイン?」
「ええんですか、見ます見ます! 見させていただきます。失礼します!」
四季の景色を描いた山水画風で、ぐるりと一年が巡るような。
そんな素敵なものです。
「キュウちゃんもひとつやってみるか? 1番2番の背中に追いついきたようやし。残りはデザインや。二人は今年はやらんいうから」
ここでフカ先生はそう提案します。
1番と2番は、デザインはもういいと苦い顔をしております。
その理由は回想シーンでどうぞ。
番頭の加山がここで出てくる。
「お弟子さんのデザイン渡されても困るでよ! 社長の代わりにハッキリ言っておきますが、丸熊陶業は深野心仙先生以外のデザインを採用する気はありません!」
きついダメ出し。喜美子は現場を見ていましたから、懐疑的ではあります。
「採用していただけますかね……」
「打たぬ鐘は鳴らぬいうてな。やってみんとわからん」
そうフカ先生は言い、こう続けます。
「キュウちゃんはこれからどうするつもりか? 絵付けを一生の仕事としてやっていくつもりか?
ほなやってみたらええ。ものづくりは一生修行や。デザイン採用されるまで何回でも取り組んでみたらええやないか」
「わかります、やってみます、挑戦してみます! ありがとうございます!」
喜美子はそう前向きに言い切ります。
そしてこうだ。
「今年はうちがお二人の敵をとります!」
「敵とってくれるん?」
兄弟子2人もビックリ。
おもろい。なんかこういう発言、中国武術もののフィクションで見た気がする。
喜美子はちょっと得意げになります。
「中学の時、県の絵画大会で金賞を取りました。子どもの頃から、絵ェ描くんはうまいんです!」
これを聞き、兄弟子たちは苦笑してしまう。
1番さんは、2番が全国芸術大会で大臣賞を取ったと言います。
2番さんは、1番さんが美術学校主席卒業だと言う。
喜美子は恥ずかしくてたまらん。
フカ先生はこうです。
「絵がうまいから言うてできるとは限らん。何も一点ものの芸術品作るんちゃうで」
デザインのコツとは何か?
嫌な予感が積み上がってきました。
専門性のある賞歴がある。教育がある。いわば肩書きがある才能の持ち主。
それに対して、いきなりそのセンスだけで突破してきた才能が来たら、どうなるのか?
これはNHK東京がここ数年取り組んできているテーマとも言えます。『半分、青い。』では、岐阜の山猿こと鈴愛が、漫画や発明に才知を発揮する過程が描かれました。
ボクテやユーコの見せる戸惑いがそこにはあった。
“エリートVS野生児。”そういう展開に、NHK大阪も数年ぶりに挑むのでしょう。
マツは喜美子からデザインのことを聞いております
絵の上手い下手は関係ないという。マツが絵画金賞のことを持ち出すと、喜美子はこう来ました。
「そんなこと、自慢したらあかん!」
兄弟子を前にしたあの時の恥ずかしさが蘇ってきたのでしょう。
喜美子はこう言います。
フカ先生の言葉が脳裏にある。大事なのは上手い下手より、大量生産に向いたデザインができるかどうか。
「誰もが買うてくれるようなデザインや」
そう話していると、宿題を終えた百合子が手伝いにやって来ます。
ちょっと自慢げにこうだ。
「最近は喜美子姉ちゃんより、うちの作るごはんがうまいて評判なん」
「どのへんで評判?」
喜美子がそう言うと、こう来た。
「このへん、このへん!」
マツもそうだと肯定
目標である喜美子姉ちゃんを乗り越えて、楽してもらいたい。そういう気持ちがある。
百合子は、本役・福田麻由子さんに交替しましたが、違和感がありません。
髪型や服装もあるのでしょうが、演技プランの引き継ぎができていると思う。
直子が割りを終えて入ってくる。
なんで薪割りかって、そら……百合子ほど料理の勉強せんのやろなぁ。
「はぁ、暑い、もう嫌や」
「ありがとうなあ」
そんな直子の口に、切ったばかりのトマトを入れてあげるマツ。
「うーん!」
その冷たさに微笑む直子。
やっぱりええなぁ。親子の交流と、暑さの中での涼しさがトマトひとつで表現できる。
※イメージ(昭和30年代のデザインってこんな風?)
喜美子は悩んでいます。
誰からも買うてもらえるようなデザインを考える――それはなかなか難しいことでした。
背後の本棚にはちゃんと参考書がある。綺麗な手毬も。これで練習をしているとわかるのです。
どんなデザインやったら買うてくれるやろか?
おにぎりを頬張りつつ、考えます。
例えばお父ちゃんやったら?
ここで回想されるジョーは、草間さんが買ってくれるまで揉めた、あのラジオを叩いております。
壊れてしまった。こんなもんは腹の足しにもならん! そんな理不尽な切れ方です。
そもそもラジオは食べるもんやない!
そう突っ込んだら負けや。テレビ時代黎明期ですからね。稼いで買わんと。
「いらんねん、ていっ!」
「ていっ!」が関西のおっちゃんぽくておもろい。
そして手元には銚子とお猪口があるわけですが。
うーん、これはむしろジョーみたいな層の意見は無視してよいかもしれない。
翌朝、喜美子は考えています。
みんなにええなぁいうてもらえるような……。脳裏に浮かぶのは、荒木荘の人たちです。
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笑うさだ。
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とやぁ〜! の真似をする大久保さん。
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かつらをかぶって歌う雄太郎。
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まっすぐ見つめてくるちや子。
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そして、おいしそうに食事する圭介。
そんな荒木荘の面々を思い出しつつ、薔薇の絵を描く喜美子でした・・・次回に続く。


