続きです。
二 提供者山口 義政の適応性
(1)提供者(Donor)選択の基準
前述したように心臓移植の場合のDonorはdead brain , live heartでなければならないから、いかなる提供者群からこれを選ぶかが問題である。
年令については四一才以上はいけないとか、五六才の提供者心でも心臓重症者である受給者の心臓の一〇倍もよいとかいわれる。
年令については四一才以上はいけないとか、五六才の提供者心でも心臓重症者である受給者の心臓の一〇倍もよいとかいわれる。
問題はDonorの死因にある。
(2)Donorの死因について
Donorの死因として最も適当と思われるのは頭部挫創のようなものであろう。
頭蓋骨折し、脳組織の破壊されたような場合は、現代医学では、誰が見ても回復不可能と思われる。
従って心臓を摘出することには問題はない。
これに対し溺水者は漢方医家の説を俟つまでもなく、自発呼吸があれば、まず助かるというのが一般的見解であるから問題がある。
頭蓋骨折し、脳組織の破壊されたような場合は、現代医学では、誰が見ても回復不可能と思われる。
従って心臓を摘出することには問題はない。
これに対し溺水者は漢方医家の説を俟つまでもなく、自発呼吸があれば、まず助かるというのが一般的見解であるから問題がある。
本邦例以外にはDonorに溺死者はないようである。
Donorの死因は、本邦例を除いては、頭蓋内出血、頭部外傷、交通外傷(頭部)等が大部分で、その他は脳腫瘍、自殺等である。
(3)山口 義政の病状
山口 義政は昭和四二一年八月七日正午頃、溺水事故を起し、野口病院へ運ばれる救急車中で偶然蘇生し、自発呼吸をはじめ、午後〇時四五分頃、N病院へ到着した。
そして最初N病院長Nが診察し、脈を見たところ比較的良好なのでこの分では大丈夫と思いU医師に任せ別室へ退いた。
U医師が診察したところ、脈博にも緊迫感があり、血圧は一00以下であったが自発呼吸があり、手足のチアノーゼ(Cyanosis 指先などが血行不良のため紫色になること)もかすかであった。
聴診器で診たところ、ラッセル音もなく(ラッセル音 Rasselgerauschとは肺の雑音の一種で、ここでは湿性ラッセルの水泡や捻髪昔のこと)、後になって、ラッセル音が少し聞こえたが、これは多少の肺の水腫ないし肺炎発生の可能性を示すもので、呼吸をさまたげる程のものでなく、気道に著しく水がたまっているために呼吸が乱れているのでもなかった。
そして最初N病院長Nが診察し、脈を見たところ比較的良好なのでこの分では大丈夫と思いU医師に任せ別室へ退いた。
U医師が診察したところ、脈博にも緊迫感があり、血圧は一00以下であったが自発呼吸があり、手足のチアノーゼ(Cyanosis 指先などが血行不良のため紫色になること)もかすかであった。
聴診器で診たところ、ラッセル音もなく(ラッセル音 Rasselgerauschとは肺の雑音の一種で、ここでは湿性ラッセルの水泡や捻髪昔のこと)、後になって、ラッセル音が少し聞こえたが、これは多少の肺の水腫ないし肺炎発生の可能性を示すもので、呼吸をさまたげる程のものでなく、気道に著しく水がたまっているために呼吸が乱れているのでもなかった。
医師は手当として、強心剤、昇圧剤、副腎皮質ホルモン等を注射し、麻酔器を使って酸素呼入をし、午後四時半頃まで三〇分おきに診たが次第に回復してきた。
肺炎の予防のためにクロロマイセリンを注射した。
呼吸は最初は大きかったが次第に静まったので酸素呼入は午後三時から四時の間に中止した。
肺炎の予防のためにクロロマイセリンを注射した。
呼吸は最初は大きかったが次第に静まったので酸素呼入は午後三時から四時の間に中止した。
U医師は通勤で通常は午後五時三〇分が帰宅時間であるが、この日は少しおくれ午後六時一〇今頃、N院長に引き継いだ。
これはその晩、患者山口に危険があるとは考えられなかったからである。
もし危険が予想されれば居残るなり、当直するつもりでいたとのことである。
これはその晩、患者山口に危険があるとは考えられなかったからである。
もし危険が予想されれば居残るなり、当直するつもりでいたとのことである。
交替時の山口の症状は、血圧一三〇~八〇、脈博は少し早かった、呼吸は二〇以上で苦しむ様子はなかった。
チアノーゼもなくなり、酸素吸入装置もはずしており、瞳孔反射は牛後三時頃からかすかに出てきていた。
そして顔色も普通で、熱は後から出てきたので三七度から三八度の間だった。
点滴による栄養剤などの必要は認めなかった。
意識はなかったが、これらの症状から見て二〇分~三〇分後の急変などは到底考えられなかったとのことである。
チアノーゼもなくなり、酸素吸入装置もはずしており、瞳孔反射は牛後三時頃からかすかに出てきていた。
そして顔色も普通で、熱は後から出てきたので三七度から三八度の間だった。
点滴による栄養剤などの必要は認めなかった。
意識はなかったが、これらの症状から見て二〇分~三〇分後の急変などは到底考えられなかったとのことである。
ところが、その直後に山口は症状が急変したとして、高圧酸素療法適応として札幌医大に転院したのである。
これにつきU医師は「高圧酸素療法は第一の適応ではない、私が送るとしたら麻酔科に送ったと思う。けれども溺水患者を大学病院に送るということはきいたことがない。私でも十分に治療ができる筈である。私にも納得がゆかない、N先生にきいて見たい」と述べた。
これにつきU医師は「高圧酸素療法は第一の適応ではない、私が送るとしたら麻酔科に送ったと思う。けれども溺水患者を大学病院に送るということはきいたことがない。私でも十分に治療ができる筈である。私にも納得がゆかない、N先生にきいて見たい」と述べた。
(4)山口転院
N院長は昭和四三年八月七日午後六時一〇分、U医師から山口の病状をきいて引継いだ。
その時の状況につきN院長は次のように述べている。
その時の山口の病状は、安静にしており、意識はなかった。
呼吸は三〇位、脈博はわるくなく、血圧は一三〇~八〇で普通だった。
ところが午後六時半頃、突如容態が悪化し、うめき、もがき、押えつけないと、のたうちまわるようで、母親が押えていた。
ほかにもう一人いた。
医学的にいうと、指先がチアノーゼ、顔はどす黒く血圧は一三〇より少し下った。
しかし、脈博は悪くなかった。
そして家族もおろおろしていた。
その時の状況につきN院長は次のように述べている。
その時の山口の病状は、安静にしており、意識はなかった。
呼吸は三〇位、脈博はわるくなく、血圧は一三〇~八〇で普通だった。
ところが午後六時半頃、突如容態が悪化し、うめき、もがき、押えつけないと、のたうちまわるようで、母親が押えていた。
ほかにもう一人いた。
医学的にいうと、指先がチアノーゼ、顔はどす黒く血圧は一三〇より少し下った。
しかし、脈博は悪くなかった。
そして家族もおろおろしていた。
N院長は、これは酸素不足のために起った症状であると判断し、高圧酸素室療法がよいと思い、その設備のある札幌医大の和田外科へ病院と棟つづきの自宅から電話し、その治療方を依頼した。
これは午後六時四五分頃である。
四~五分たった後「お引受いたしますしと電話で返事があっだので転院させることにし、山口の母親には「私の処ではこれ以上できないから・・・・・・と」大学病院の話をし、救急車を依頼した。
これは午後六時四五分頃である。
四~五分たった後「お引受いたしますしと電話で返事があっだので転院させることにし、山口の母親には「私の処ではこれ以上できないから・・・・・・と」大学病院の話をし、救急車を依頼した。
N院長から救急車の依頼をしたのが牛後七時五分、管外搬送のため救急車出動の手続がおくれ、午後七時一六分救急車出動、同七時一九分N病院着、同七時三六分N病院発、同八時五分山口を乗せた救急車は札幌医大の救急患者入ロに到着した。
この救急車には医学生のHと看護婦一人が同乗していた。山口 義政は大勢の医者や看護婦に迎えられ、搬送車に乗せられて、病院内へ運ばれて行った。
この救急車には医学生のHと看護婦一人が同乗していた。山口 義政は大勢の医者や看護婦に迎えられ、搬送車に乗せられて、病院内へ運ばれて行った。
山口 義政の転院の理由ないし必要性に関するN院長の説明には、次のとおり幾多の疑問が存在する。
まず、山口 義政の症状の変化について、終始付添っていた母親は、これを否定しており、押えつけなければヘットから落ちるような状態だったことは知らないと述べている。
また、山口 義政を札幌医大ヘ運んだ救急車の車長である今博は、患者山口が血色もよく健康色で、口唇の色も変えていないので、転院の理由をN院長に質問したとのことである。
さらに、同院長の転院の理由に関する説明は、一貫性を欠いている。
また、山口 義政を札幌医大ヘ運んだ救急車の車長である今博は、患者山口が血色もよく健康色で、口唇の色も変えていないので、転院の理由をN院長に質問したとのことである。
さらに、同院長の転院の理由に関する説明は、一貫性を欠いている。
次に、N院長は、山口 義政の容態が急変したが、「気が動転していて、札幌医大ヘ電話しただけで何の手当もしなかった」と述べているが、医師として三三年の経験を有する同院長の行動としては理解に苦しむところである。
(5)山口 義政に対する蘇生術について
救急車の後を追ってタクシーできた山口の両親と急をきいてかけつけたその姉妹は、高圧酸素療法が行なわれたか否かを確認していない。
高圧酸素室には直径二㍍、長さ六~七㍍のタンクがあり、このタンクに患者を入れ、徐々に酸素を注入して気圧を上げ三気圧位にする。
これに二〇~三〇分かかる。
そして、このタンクの中に数時間または数日間入れておき治療するのであり、治療終了後も、徐々に酸素を抜いて気圧を下げるので、これに二〇~三〇分かかる。
したがって仮に入れてすぐ出すとしても、一時間近くかかるわけであるから、一〇分位では高圧酸素療法を行なうことは絶対不可能である。
ところがこれにつき和田教授らは、本件に関ずる「心臓移植手術とその臨床」(第一報)において、 「高圧酸素療法など、われわれの救急処置を行なったにもかかかわらず……」と発表している。
高圧酸素室には直径二㍍、長さ六~七㍍のタンクがあり、このタンクに患者を入れ、徐々に酸素を注入して気圧を上げ三気圧位にする。
これに二〇~三〇分かかる。
そして、このタンクの中に数時間または数日間入れておき治療するのであり、治療終了後も、徐々に酸素を抜いて気圧を下げるので、これに二〇~三〇分かかる。
したがって仮に入れてすぐ出すとしても、一時間近くかかるわけであるから、一〇分位では高圧酸素療法を行なうことは絶対不可能である。
ところがこれにつき和田教授らは、本件に関ずる「心臓移植手術とその臨床」(第一報)において、 「高圧酸素療法など、われわれの救急処置を行なったにもかかかわらず……」と発表している。
しかし、山口 義政は、午後八時一五分頃には、すでに二階九号手術室にいたというのであるから、高圧酸素療法は行なわれなかったとみるべきである。
次に、山口 義政に対して、どのような蘇生術が施されたかを検討する。
現在の医学教育では蘇生術は麻酔学で教えている。
また、蘇生術に関することは、麻酔学の教科書に書いてある。
外国の麻酔学書にも Rescusciation として蘇生法のことが書いてある。
また、現実に蘇生術は総合病院では麻酔科が担当している。
当然のことながら総合病院に溺水患者が運ばれれば、先ず第一に麻酔科の医師にコールがかかるのが常識である。
また、蘇生術に関することは、麻酔学の教科書に書いてある。
外国の麻酔学書にも Rescusciation として蘇生法のことが書いてある。
また、現実に蘇生術は総合病院では麻酔科が担当している。
当然のことながら総合病院に溺水患者が運ばれれば、先ず第一に麻酔科の医師にコールがかかるのが常識である。
蘇生ということに重点をおいて見たとき、高圧酸素療法適応として送られた患者を高圧酸素療法は効果がないと判断したなら、麻酔科に任かせるのが当然である。
ところが本件の場合は、それがなされなかったのである。
ところが本件の場合は、それがなされなかったのである。
また、和田外科における次の処置は医学的にみてかなり問題がある。
和田外科では、同日午後八時一五分頃、麻酔科に対して、イソヅール(静脈麻酔薬)とレラキシン(筋弛緩剤)を貸してくれと申入れこれを借受けたが、イソヅールやレラキシンを必要とするのは患者が生きている証拠である。
死んでいる者や死にかかっている者には無用の薬である。
このうちレラキシンは人工蘇生器の管を気道に挿入するときに必要なこともあり得るが、イソツールを使用するというのは理解に苦しむ。
死んでいる者や死にかかっている者には無用の薬である。
このうちレラキシンは人工蘇生器の管を気道に挿入するときに必要なこともあり得るが、イソツールを使用するというのは理解に苦しむ。
また、和田外科のJ医師は、麻酔科のL助手に対し、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)を一〇筒貸してくれと言って、これを手術室に持って行った。
ソルコーテフは副腎皮膚ホルモンで、手術等の場合にこのホルモンが足りなくなるとショック(Shock 出血、手術外傷などに伴って血圧が下り、循環血液量が滅少して、諸臓器の機能が低下すること、虚脱ともいう)を起すことがあるので予防的に使われるのである。
その一日量が大体一筒で緊急時でも四筒である。
これを一〇筒も一度に使うのは普通は無意味である。
しかし、心臓移値の際に免疫反応抑制剤として使うならば意味がなくはない。
その一日量が大体一筒で緊急時でも四筒である。
これを一〇筒も一度に使うのは普通は無意味である。
しかし、心臓移値の際に免疫反応抑制剤として使うならば意味がなくはない。
人工心肺を使うことは、溺水者の蘇生としてはほとんど意味がない。
高圧酸素療法も第一にやらなければならないことではない。
高圧タンクの中に入れてしまうと、溺水者に対する他の手当、処置に不便であり、却って有害の場合がある。
高圧タンクの中に入れてしまうと、溺水者に対する他の手当、処置に不便であり、却って有害の場合がある。
溺水者が後になって死亡する原因は大部分が肺の合併症である。
即ち肺炎、肺浮腫、無気肺(肺拡張不全)などである。
したがって、溺水者に対する根本的な治療は先ず肺に対する処置である。
即ち抗生物質を投与し、温度に注意し、酸素吸入をしたり、肺を拡張させたり痰や胃液それに海水での溺水なら藻などを吸引することが必要である。
高圧タンクに入れてしまうとこのような手当がやりにくくなる。
これらの蘇生法から考えて見ると和田外科のとった措置はいづれも蘇生術といえるものであるかどうか疑問である。
即ち肺炎、肺浮腫、無気肺(肺拡張不全)などである。
したがって、溺水者に対する根本的な治療は先ず肺に対する処置である。
即ち抗生物質を投与し、温度に注意し、酸素吸入をしたり、肺を拡張させたり痰や胃液それに海水での溺水なら藻などを吸引することが必要である。
高圧タンクに入れてしまうとこのような手当がやりにくくなる。
これらの蘇生法から考えて見ると和田外科のとった措置はいづれも蘇生術といえるものであるかどうか疑問である。
そして、和田外科では、八月七日午後七時頃、山口 義政を使用者とするO型血液二、〇〇〇㏄北海道赤十字血液センターに注文し、さらに、午後七時三〇今頃、宮崎 信夫と同型のAB型血液を大量に調達できるかを問い合わせ、午後九時三〇分と同一一時頃の二回に分けて合計三、八〇〇㏄の血液が、宮崎 信夫用として札幌医大に送られた。
この山口用の血液を注文することは必ずしも心臓移植と関係があるとは言えないが、宮崎用の血液を注文したことについては理解しがたいところである。
この山口用の血液を注文することは必ずしも心臓移植と関係があるとは言えないが、宮崎用の血液を注文したことについては理解しがたいところである。
また、和田教授はL助手に対し、「この患者は高圧酸素療法適応ということで送られてきたが、高圧酸素タンクに入れても仕方がないから心臓移植手術の提供者とすることにした。家族の承諾をとるのに時間がかかるから、君、二~三時間待ってくれないか」と待機を求めた。
因に手術には麻酔医の協力が不可欠である。
L助手はニ~三時間というと何時になるのか、確認のため時計を見たところ、丁度午後八時三〇分であった。
因に手術には麻酔医の協力が不可欠である。
L助手はニ~三時間というと何時になるのか、確認のため時計を見たところ、丁度午後八時三〇分であった。
これらの一連の事実は、和田外科において山口 義政を九号手術室に収容した八月七日午後八時一五分、すでに心臓移植手術の決意がなされ、これが開始されたとの事実を強く推定させるものである。
もうちょい続きます。
和田移植(心臓移植)③へ。
和田移植(心臓移植)③へ。