私には未だに乗り越えられない深い深い悲しみがある


一体どこから話せばいいものか…




私は3人兄弟の末っ子に産まれた


ガタイが良く、頼りがいのある兄


明るく活発で美人の姉


心臓病で小賢しい俺


子供の頃こそ喧嘩もしたが


とても仲の良い山川家の3人兄弟



姉が嫁いでからは少し疎遠になり


ただ、たまに兄とは良く飲みにいったりした


そのことを姉が知ると、


「いいな~、私も男に産まれたかったな~…」


なんてぼやいていた


今思えば無理矢理にでも姉も誘えば良かったんだ…




2013年11月11日


奇しくも私が36歳を迎える誕生日だった




最愛の姉 実紀 がこの世を去った




急性白血病が発症し


1年半の闘病生活の末だった


まだ幼い3人の子供たちを残して…




長男 陸斗 12歳


感情を表に出すタイプでは無いが


うつむいたその眼鏡に一瞬で涙が溢れ床にこぼれ落ちていた




長女 夢香 10歳


「ママー!ママー!」とひたすら呼び続けた


呼べば応えてくれると信じながら…


姉の子供の頃によく似ている


夢香に会うたびに姉が生きていると思わせてくれる




次女 英玲奈 8歳


少し茫然とした様子で静かに泣き始めた


まだ死を理解出来ていないようだった


無理もない


これから母の愛が一番必要な時期かも知れない




ひときわ暗く重たい病室の隅で


私は膝から崩れ落ちた


自分の人生で


あんなに涙を流す事があるとは思ってもみなかった


悲しみが全てを埋め尽くし


姉の代わりに自分の死を切望した




姉との思い出を辿り、後悔する日々が続いた


なんであの時素直に「ごめんね」って言えなかったんだろう…


なんでもっと「ありがとう」って言えなかったんだろう…


「姉貴すごいよ」ってもっと伝えたかった…




弟の私が言うのもなんだが


本当に姉は綺麗な人だった


モデルをやっていた頃もあった


それだけで食べていけるわけでは無かったが


誇りを持って仕事をしていたのは知っていた




長野の飯山では5月上旬に「菜の花祭り」が開催される


そのイベントの中に「ミス菜の花」というミスコンが催される


いつだったか姉がそのコンテストで優勝し「ミス菜の花」に選ばれた


それが功を奏してか


飯山の建設会社の跡取り息子と良縁を結んだ


「姉貴は幸せを手にしたんだ」


と、心から祝福し、同時に安堵した事を今でも覚えている


ただ


私の了見が狭く


旦那さんが元走り屋というだけで


少し距離を置いた


それについても本当に後悔している




姉が闘病中に突然


「私ハマーに乗りたい ^0^」


なんて言い出した


馬鹿でかい外車…なんでやねん


って俺は心の中でツッコミを入れた


ただ


その時既に社長になっていた旦那さんは


自分のベンツを売ってハマーを買った




もちろんそれだけではなく


闘病に寄り添う姿から


旦那さんの器の大きさと


愛情の深さに心をうたれた


今では本当に感謝している


この場を借りてお礼を言いたい




孝之さん


貴方が姉の旦那で本当に良かった


貴方が姉の子供たちの父親で本当に良かった


本当に本当にありがとうございます


これからも義理の弟でいさせて下さい




姉の事を話し始めるとキリがないので


最後にひとつ


姉が亡くなる前に増えた言葉がある


それはやはり


「ありがとう」と「ごめんね」だった


死を感じていたのだろうか…


その二つの言葉が日毎に増えていった


自分も後悔したのは


もっと「ありがとう」「ごめんね」って言えば良かった


って事だった


だから


これからはしっかり前を向いて


自分が後悔しないように


姉が言えなかった分まで


「ありがとう」


を素直に伝えていこうと


心から深く強く思うのです





「生まれ変わっても


また姉弟になろう!


またね!


みきちゃん!!」