さてみなさん。(浜村淳)


ちょっとネタ切れしてきた赤い者です。

今回は古い話をしてお茶を濁してみたいと思います。


コンピュータとのはじめての出会いは、今から25年以上前、小学生のころ遊びに行った友達の家にあった SHARPパソコンテレビ X1 初代 (CZ-800C ) でした。
CPU はザイログ Z80 4MHz, RAM は 64KB, グラフィックRAMはオプションで(要するにオプションが無いと絵は出ない。友達の機体は拡張済みでした)、メディアは 2400bps のカセットテープでした。
当然小学生ですのでやることはゲーム、黎明期のハドソンソフト作「モンキー・アップ」(もはや古すぎてネット上に資料ナシ)やT&E SOFTのアドベンチャーゲームなどを遊ばせてもらっていました。


その後我が家にもパソコンがやってきました。
クリーン設計の X1 とはだいぶ系統が違いますが NEC PC-6001mk2 です。
この頃は中学生になっていましたので多少プログラムもわかります。
アセンブラを買うお金は子供にはなかったので、プログラムを紙に書き、Z80のニーモニック表と首っ引きでハンドアセンブルで機械語に直していきました。
作ったのはまたもやゲーム、ジョイスティックを使ってトップビューで豆粒より小さいキャラクターが画面を周回するレースゲームを作成しましたが、64KBのメモリ空間はハンドアセンブルでは使いきれないほど広大でした。


中学生になり悪知恵が付いてくると、親に隠れてもっとパソコンを触りたくなります。
そこで下調べもなくお小遣いで買ったのが SHARP のポケコン PC-1246 でした。
買ってから知ったのは、このマシンは残念なことに機械語が実行できないということでした。
BASICはやたらと速かったのですが、メモリはさらに苦しい 1278 バイト。
テキストだけならこの記事の今の行あたりでもうすっかりメモリオーバーです。

しかし、BASIC上では PRINT などの予約語が 5バイトでなく 1バイトとして取り扱われるというケチケチ設計のおかげで意外となんとかなるものでした。
行番号に取られて目減りしますが、1000ステップくらいは使える計算です。
学校にも持ち歩き、野球ゲームやパズルゲームを作って友達に遊んでもらっていました。
地元ではカセットインタフェイスが売っていなかったので、リード線でラジカセとポケコンの拡張コネクタを直結して、プログラムを音楽テープにセーブ・ロードしていました。


もうちょっと普通に使えるパソコンが家にやってくるのは高校生になってから。
その話はネタ温存として次回に持ち越しさせてもらいます。