前回の記事では、今の若い子たちは幼少時からコスト=リターンの経済原則をしっかり刷り込まれて成長してきているので、価値判断の基準において、つねにコスト・パフォーマンスの良否という観点が主軸になっているのではないかという話をしてきました。
彼らにとって、コストが即座にリターンに結びつかず、しかもコストがリターンに見合わないような取引は意味がないとみなされます。しかもなるべく少ないコストで、なるべく大きなリターンが得られるような取引がより望ましいと考えられています。
これを地元アイドルさんに適用すれば、自分の払うコスト(例えば、レッスンに費やす時間や体力や費用、私生活を犠牲にしてのアイドル活動等)が直接自分の人気や評価に結びつかなければ、その努力は意味がない。たとえある程度の人気や評価を得られたとしても、そのために多大な努力が必要ならコスト・パフォーマンスが悪い不利な取引である。したがって、努力をはるかに上回るリターン(例えば全国的な知名度や人気、金銭的報酬など)が即座に得られなければ、無理をしてまでアイドル活動なんてやってられないよね、という判断に結びつくはずだという話でした。
私は10代・20代のアイドルさんがこのような判断をすることを必ずしも非難するものではありません。彼女たちにとって、それは幼少時から身につけてきた経済原則からすれば至極まっとうで合意理的な判断だと思うからです。しかし問題は、そのような経済原則優先ですべてのものごとを判断するなら、アイドル活動はおろか、社会的な活動のほとんどが成り立っていかないじゃん?ということなのです。
その典型的なケースが学校教育です。マララさんの例を見ても分かるとおり、「子供には教育を受ける権利がある。子供にはすべからく教育を受ける機会が与えられるべきだ。」というのが世界中の多くの子供たちの悲願です。しかし、先進諸国、とりわけ我が国においては、政治的・経済的不安定な状況のもとで教育を受ける権利を奪われる機会がほとんどないため、教育が子供たちにとって嫌々ながら受けなければならないシンドイ義務のようにみなされつつあります。
ですから、コスト=リターンの経済原則のもとで育った子供たちは、自分が支払うコスト(毎朝学校に行って、退屈な授業を何時間も受け続けなければならない苦痛)に見合うようなリターンが学校教育においてもなければならないと考えます。しかし彼らに提供される教育、例えば計算の仕方を習ったり、漢字を覚えたりすることは、後々何らかの役に立つのは確実ではあるけれども、授業を受けている子供たちにとって即座に役に立つ知識ではありませんし、そもそも子供ですからその本当の価値がわからなくて当然ですので、それは有利なリターンとはみなされません。
そこで合理的な消費者として、子供たちは自分がリターンとみなす分だけコストを引き下げよう、しかもできるだけコストを少なくしようと努力します。というわけで、授業中に私語をしたり、ゲームをしたり、漫画を読んだり、教室をウロウロしたりするという現象、つまり学級崩壊がおこってしまうのです(まあ、このあたりは他人の説の受け売りですけど)。
私たちがコスト=リターンの経済原則で賢い消費者として行動することは、この資本主義社会においては決して悪いことではありませんし、むしろさかんに推奨されているほどです。しかし、個人のアイデンティティまでが消費者マインドで形成されてしまうと、かなりマズイ状況になってしまうのがお分かりでしょう。とりわけ社会の基盤を形成するような活動においては、別の原則が必要ですし、実際にそのような原則が存在しているのです。
北九州の田舎に住んでいる私も時どき東京に出かけたりしますが、東京でなによりも感銘を受けるのは、一千万を超す人口と複雑な社会システムが存在するこの大都市において、日々高度なインフラがつつがなく作動しているという事実です。これはもちろん誰か超人的かつヒロイックな人物がすべてを統括管理しているからではありません(歴代の都知事をみれば分かりますよね)。インフラを設計、建設、維持管理する仕事にたずさわる多くの一般の人々による働きの賜物なのです。
社会において仕事をする大部分の人々は、単に労働力を提供し、その見返りとして報酬をもらうというだけのシンプルな経済関係のみで生活しているわけではありません。もしそうであれば、東京のような大都市のインフラを今のレベルに維持するためにはどれほど莫大な費用がかかると思いますか?大都市が今のように正常に機能するためには、個々の労働者たちがリターンを超えた働きを自分の仕事に対してもたらしていると考えざるをえません。つまり、「誇りを持って仕事をしている」ということですね。
社会には、ほとんど語られることがないけれど、誰もが知っておくべき重要な原則が存在しています。それは、「たまたま優れた才能や条件に恵まれた人は、そのメリットを他人のために役立てる使命がある」ということです。
これは別に特定の宗教の教義ではありません。だってどんな大宗教の開祖もこの原則に従っているでしょ?そしてもちろんこれは「神」のような何らかの絶対的根拠から演繹的に導かれる原則でもありません。ただ「そうでなければ人間の社会なんて成り立っていくはずがないよ」というだけのものです。
「優れた才能や条件」というのは、なにも特殊な能力とかまれなほど恵まれた環境とかに限られるものではありません。見た目が良いとか、足が速いとか、気が優しいとか、現代日本のような平和な国に生まれ育ったなどということで十分なのです。だからこの原則の中には、例えば職人さんが自分の仕事を見事に仕上げるとか、電車の中で健康な人が身体に障害のある人に席を譲るとか、コンビニで買物をした時に店員さんに「ありがとう」と言うといったレベルの行為まで含まれます。
先にコスト=リターンの経済原則で行動することが必ずしも悪いわけではないと言いましたが、そのようなビジネス的システムが作動するためには、その前提として安定した社会が形成されてなければならず、そのような社会が成り立つためにはコスト=リターンの経済原則とは別の原則、つまり「利他的原理」が働いていなければならないのです。
さて、話が脱線しまくっていると思ったら大間違い。ちゃんとアイドルさんの話題につながるんですよ。
いまさら言うまでもないことですが、ローカルとはいえやはりアイドルさんはアイドルさん。皆が皆とまでは言いませんが、容姿も、歌やダンスの才能もメジャーのアイドルさんたちに比べて決して遜色のない女の子たちがたくさんおります。そりゃあ、オーディションなどを経て、芸能のプロから選ばれた少女たちですからね。ただ、そういう子たちが次から次へとあっさり卒業していってしまうのが地元アイドルファンの辛いところ、というあたりから始まった話でした。
一般人の中でも際立って目立つような女の子たちがアイドルを目指す動機としては、自分もメジャーで活躍しているアイドルさんのようになりたいというのがメインでしょうが、それはつまり知名度を上げて社会的に認知されたいとか、人気を獲得して多くの人々から愛され憧れられる存在に自分もなりたいという、ある意味自己中心的な欲求です。もちろんそれはそれで構わないのですが、アイドルさんたちが自分の抱負を語る言葉に、「みんなに元気を与えられるような存在になりたい!」という常套句(クリシェ)がありますよね。クリシェなどと少々意地悪く言ったのは、おそらくあまり深く考えずに発した言葉だろうなあと睨んでいるからなのですが、しかしアイドルさんたちがクリシェと化するまでにこの文句を頻用するのは、やはり訳があると思われます。彼女たちは意識的にか無意識的にか、ちゃんとアイドルの本質を捉えているんですね。アイドルとは、自分がたまたま生まれ持った美質を他人のために役立てることができる仕事であると、彼女たちは深いところで気づいているのです。
しかし残念なことに、そのことを彼女たちの意識に明確に昇らせてあげられるような言葉をもった大人はめったにおりません。誰もがビジネスの言説でしかものごとを語ろうとしない時代です。日常接するような大人たちの言葉や行動の中にも、日々大量に流されるマスコミの言説にも、ヒントになるようなものはなにひとつないというのが実情です。
そのため、幼少時から刷り込まれた思考パターンであるコスト=リターンの経済原則によって彼女たちは自分の活動の価値を判断するしかなく、合理的な対価計算によって容易にアイドルとしての活動を諦めてしまうところがあるのではないかと私は思っています。
アイドルさんの持つ可愛い容姿、歌やダンスの才能、キャラクターも含めた魅力というものは、彼女たちに与えられた天からの贈り物です。それは誰もが羨むアドバンテージです。彼女たちはそれによる有利性を自分のためだけに使うこともできたはずです。例えば閉鎖的な小集団の中で、自分の意のままに従う取り巻き連中たちに囲まれて、女王然と振る舞いながら楽しい生活を送ることもできたに違いありません。
しかし彼女たちがあえてアイドルという艱難に満ちた道を選んだということは、もちろん利己的な欲望もあるでしょうが、それにもまして自分の持つ魅力がより多くの他人に対して元気や喜びや希望を与える力があるということを、心のどこかで気づいているからでしょう。
ですから、私はアイドルとして活動を続けることの意味に悩んでいる女の子に対しては、次のように言ってあげられればと思っています。
「あなたは優れた容姿や才能や魅力を持って生まれた幸せな人間だし、その幸運をあなたは自分の利益のためだけに使うこともできたはずです。しかし自らアイドルという道に進むことによって、あなたは自分の幸運を多くの他人のために役立てられる立場を選んだのです。それはとても尊く素敵なことではありませんか?」と。