桜の園 / 小野理子訳 岩波文庫(1998)
可愛い女・犬を連れた奥さん / 神西清訳 岩波文庫(1940)
六号病棟・退屈な話 / 松下裕訳 岩波文庫(2009)
また週末に台風とか、マジでありえん・・・(´・ω・`)
しかも台風に備えていたのに、福岡では雨も風もたいして強くなかったのが余計に腹が立ちますなあ。
今日は朝から陰鬱な曇り空を眺めつつ、チェーホフばかり読んでいました。
別に空模様からロシアを連想したというわけではなく、たまたま手近に未読の本があったので手に取っただけでしたが、あまりの面白さに熱中してしまって、とうとう晩までに上記三冊を一気に読み通してしまいました。
陰鬱でペシミスティックな「六号病棟」、辛辣な毒舌と諧謔で退屈するヒマもない「退屈な話」、ほのぼのとした温かみのある「可愛い女」などの小説作品も魅力的ですが、やはり最晩年の戯曲「桜の園」が最も印象に残りました。
「桜の園」は以前福岡で舞台を観たことがあり、そのときは奇抜な演出の方に目を奪われていましたが、こうして改めて活字で読んでみると、作品が本来持っているリリカルな美しさがよく伝わってきます。
この戯曲は、没落貴族が「桜の園」と呼ばれる広大な領地を、借金のカタに手放してしまうというだけの、これといった盛り上がりもないストーリーですが、登場人物たちの性格描写がとても優れています。
登場するのはほとんどがダメ人間で、浪費家でロクでもない男に入れあげている女地主のラネーフスカヤ、その兄で五十を過ぎてもまともな仕事もしていない中途半端なインテリのガーエフ、お節介だけど役に立たない姉のワーリャと世間知らずの妹アーニャ、動くたびにヘマをしでかす事務員のエピホードフ、手品しか能のない家庭教師シャルロッタ、三十近くになっても卒業できない万年大学生のトロフィーモフ、勘違いばかりしているメイドのドゥニャーシャといった面々。
こういう人びとが、借金のカタに領地が競売にかけられるといった事態を前にうろたえるのですが、お互いいっこうに話がかみ合わず、これといった手だても思いつかないまま、無為無策のうちに「桜の園」を手放してしまい、先祖代々の屋敷から立ち退きを喰らうといった話です。
小説作品を読むかぎり、チェーホフは人間嫌いのペシミスト的側面が強いように思われますし、世間の退屈さや卑俗さに対して手厳しい攻撃も加えられていますが、最晩年のこの作品での登場人物の描き方からは辛辣さが薄れ、むしろそういうダメ人間たちに対する温かなまなざしが感じられます。ヒロインのラネーフスカヤ夫人は、若い頃の作品ならば鼻持ちのならない俗物として描かれたかもしれませんが、ここでは多くの欠点をもってはいるものの、根は他人にたいして深い愛情を持つことのできる、愚かだけどピュアなキャラクターとなっています。
そして主人公一族にしきりに関わってくる成り上がりの実業家ロパーヒン(この戯曲の中で唯一実務能力のある人物)に関しても、ヒロイン一家を没落へと導く悪役というより、どこかツンデレの雰囲気を持ったナイーブな人物設定です。
ラストで家族が離散していくプロットは、「屋根の上のバイオリン弾き」や「焼肉ドラゴン」といった演劇作品へと受け継がれているのかもしれませんが、主を失い、別荘地開発のために木々が切り倒されていく「桜の園」は失われゆく青春や家族(おそらく作者にとっては人生そのもの)の象徴であるかのように、はかなくも切ない美しさのイメージを私たちにもたらします。