昨日は大磯の先輩の車でピックアップしてもらい、午後3時には湯河原の旅館に着き、後続で到着する先輩3人をロビーで話しをしながら待った。

団体客のチェックインがピークで50人ほどが並んで順次チェックインをしていた。

30分ほどで後続がやって来て、部屋に荷を解き、ビールを飲みながら7時10分の晩飯まで部屋で話をした。

1年振りに会うので話は尽きずあっという間に晩飯の時間が来た。

 

1泊2食付きで8千円の格安料金のために飯は頗る不味い。

原価率を考慮した冷凍やレトルト食品を数百人分大皿に並べて出すので、美味いはずはないが、どうにか喰えるものを探す愉しみがある。

刺身の類は酷かった、アジフライも鯵が獲れた時はそれなりに美味かったはずなのに、どうしてこんなことに成るのかと訝しくなるほど不味かった。

不味いものを並べるとキリが無いので、どうにか喰えるものを探すと、麻婆豆腐の豆腐、烏賊とサーモンと海老の寿司、ライチなどがあり、それらを肴に花の舞純米酒、白笹つつみと箱根山の本醸造を吞んだ。

この会の目的は、学生時代のように一晩酒を酌み交わしながら旧交を温めることなので、なるべく参加しやすい価格で無けりゃいけない。

その点からいえば、料理はともかくビールと酒は上等なモノではないが一般的な品質を保っているので、肴を多少我慢すればその目的には適う。

 

9時まで飲食をしながら話をし、その後万葉公園まで源氏蛍を観に出かけた。

万葉公園の前に車を停め、随分階段を上ったので、心臓が破裂しそうで苦しかったが。

上り詰めた処で観た幻妖な明りは美しかった。

この明りを観るのは、1977年8月に自転車で出かけ、仮の宿とした田んぼの中の白馬のバス停以来で、その時は人魂が流れたとビビッて、すぐさま自転車で走り去った。

小心でビビる質は年を老いても変わらず、”三つ子の魂百まで”と人間の進歩が無いことを半世紀を掛けて確かめたに過ぎないが、今となっては夏の信濃路に流れた明かりは、記憶の中で美しく輝いている。

 

10時半には部屋に帰って来て、相部屋の先輩2人は温泉へ行ったが、僕は部屋でシャワーを浴びて浴衣に着替えて横になった。

中森明菜をイヤホンで聴いているうちに寝入ったようで、時々起きては歌声を聴いていたが、2時頃に音楽を停めて寝たら5時まで眠れた。

温泉に入り、帰ってきたらビールを勧められたので飲み、久し振りの朝ビールを飲みながら7時20分の食事時間まで話をした。

朝食会場に行ったら、凄い人だった。

色々と不味いものも多かったが、肉団子、温泉卵、海苔、梅干しが喰えたので、飯とおかゆをいただいた。

 

鍛冶屋の先輩の家で、千葉からやって来る先輩が打った手打ち蕎麦と流しソーメンがメインの同窓会が開かれるので、早めに行き近所を散策した。

50年前に伺った家があるはずの処へ行ってみたが、何しろ時間が経っていて、その家を特定できなかったのが残念だった。

その内、三々五々湯河原駅に先輩諸氏が到着して、会を主催した先輩がピストンで迎えに行き、10時半には15名が揃い会が始まった。

長丁場なので最初の4時間はビールを飲んだ。

小田原の練り物が7種類くらい、近所の肉屋の作と思われるカレーコロッケ、メンチカツ、アジフライ、ポテトサラダがあり、フライドチキンとフライドポテト、枝豆、乾きモノのつまみなどで飲みかつ話した。

手打ち蕎麦が出て来たので手繰り、その内、流しそうめんが始まったが、蕎麦で腹がくちかったが、やったことが無いので少しだけ食べてみた。

日が傾き始めた頃に、チリの有機ワインのピノ・ノワールのレゼルバを飲んでみたが、冷えすぎていたが割と美味かった。

そのボトルの隣に、加賀鳶の純米有機酒の2合瓶があったので、向かいの女性と吞んだ。

米の味わいが強い酒で、厚味があるいい酒だった。

この二年で顔見知りになった女性が二人、向かいに座っていて、お二人とも隅田川の向こう側にお住まいで、下町の評判のいい店を良くご存じで、食い物の話で盛り上り、5時間も色々と話しをしたのですっかり親しくなった。

 

遠いところの方から帰り始め、大磯の先輩と僕が一番近くなので最後まで居て、湯河原の先輩と手伝いに来てくれていた娘と息子に見送られて、4時半頃に湯河原を出た。

家に帰ったら5時過ぎだった。

 

台所で水を呑んでいたらいつの間にかイクラがやって来て正座していた。

晩飯を強請っていたらしいが、妻の担当なので上げるものが無く、目やにを拭いていたら嫌がっていた。

居間のソファに休んでいたらやって来たが、直ぐに妻もやって来てウェットを小鉢に出したので、ようやくイクラが晩飯にありつけほっとした。