《愛犬家として》
私はこれまで、多くの犬に関わる施設を訪問してきました。
「百聞は一見に如かず」心で感じるだけでなく五感で感じ、
それを適正に判断したいからです。
人から聞いた、何かの映像や写真を見ただけでは、
伝わらない本当の何かがそこにある。
だからは私は、自身で体感したことしか言葉にしたくない。
その中には思い返すだけで胸が痛くなる場所も。
例えば保健所。
収容されたばかりの部屋にいる犬は事態が飲み込めておらず、
呼べばこちらにシッポを振ってよってきます。
しかし、日にちが経つにつれ、部屋が変わるにつれ、
ここがどんな場所であるかを理解する。
明日、命を絶たれるのを待つばかりの部屋の犬は、
呼んでも近くにくることはありません。
他の犬と喧嘩をすることもなく、部屋の片隅に集まり、
曇った眼差しでこちらを見つめるだけ。
そして闘犬会場。こちらも酷い。
戦う犬はある段階から、もう相手の犬は見ていません。
相手を噛んでいても、その瞳に映るのは、飼い主の顔だけです。
(まだ噛んだ方がいい?まだ続けた方がいい?)
オーナーいわく、戦いたい犬種なのだと・・・
いえ、違います。飼い主(リーダー)に認められたい、ただそれだけです。
ルールすら皆無と思えるその場所で命を落とす犬も少なくありません。
専属の獣医が会場の外に待機しているが、もはや気休め。
みなさん、どうですか。これは他人事ですか。
色・形は違えど、愛犬と暮らす「一愛犬家」として、
自分自身には愛犬に「エゴ」がないと言い切れますか。
ペット可の施設が減る原因はなぜだと思われますか?
「周りがやっているから?」「自分さえよければいい?」
どうか、今一度考えていただきたい。
犬は飼い主=リーダーを選べないんです。
あなたの行動は、あなた自身の愛犬と一連で見られます。
愛犬が望まずして、飼い主の自分勝手な言動、行動が、
愛犬自体を巻き込んでしまうのです。「あの犬はよくない」と。
私は思うのです。犬を嫌いな人にも、
認めてもらえるよう努力をしなければならないと。
レインボーゲート 鈴木恵介