緑が綺麗になるこの時期になると必ず思い出す事があります


20年以上前の事だけど


当時 熱が午後になると38.5°以上になる事があり

当番医に行くと

腎盂腎炎と言われた

言われただけで薬を服用するのみ

でも半月経っても

毎日毎日 午後になると熱があがり

さすがに

総合病院に行った方がいいかな?

と思って友達が連れて行ってくれた


まっ

即 入院した


そこからが長かった


2週間くらいで退院できた

でも帰宅すると

2日後にはまた高熱

救急に行く

また入院


これを何度も繰り返してました


そんな入院生活は


私と

薬局経営のおばさま

夢の国のお菓子のパッケージを作る会社にお勤めの方

リウマチで寝たきりの方


この4人


窓からは

市内のビルが目の前だけど

市内でも大きな公園も目の前で

緑が眩しくて

景色は最高でした


この部屋での

入院生活では

いろいろな感情など考えさせられる事が多かったです


リウマチで寝たきりの方

毎日 朝晩 ご主人や息子さんが顔を出してました

朝 来る時には

毎日 私たちにもヤクルトを買ってきてくれました

その方もお話は出来たので

いつも4人でいろんな話をしていました

リウマチの症状が20代から辛く

子供を授かった時は もっと悪化し

子供を抱っこする事も出来ず

育てる事は難しいと言われ

お子さんを里子に出したと・・・

私たちは泣きながらその話を聞いてました

ずっと子供にも会う事が出来なかったけど

今回 病気で入院した事で

会えるようになったと・・・

もう こうやって書いていても

涙が溢れます

息子さん 私よりちょっと若いくらいだったけど

きっといろいろ辛かったと思うけど

いつも帰る時に

産んでくれてありがとうって言うのよ

いいコだよ

本当に


ある日 突然 その方の話すことが

あれ?

なんか混乱してる感じだな?

みんなで話して

看護士さんに

いつもとなんか違うよって伝えたら

ナースステーションに

ベッドごと移動し


夜中にバタバタとしてる感じ


朝 私たちも気になってたら

ご主人がみえて 亡くなったと・・・


私たちに

何度も何度もお礼を言ってた


その時

儚さと虚しさが身に染みた


後日 ご主人と息子さんが

顔をだしてくれて


最後が

私たちと同室でよかったって

息子さんはお母さんに対する気持ちを話してくれました

私たちは号泣だった


あの時

あのおばさんは

いつも笑ってた

リウマチで

手足が変形してしまい

点滴を打つのも大変

寝返りも大変

毎日のように

自分が産んだ子を抱きしめてあげれなかった事が

本当に悔しいと笑って言ってた


私はおばさんが亡くなった翌日に

子宮頚がんと言われた

30代になったから

検査だけしておこうね 入院中だし

と言う事で

とりあえずした検査だった

詳しい検査は

今までの数々のいろんな検査でも

ダントツ1位の痛さ

今だに1番笑笑


宣告され病室に戻ると

看護師さんが代わる代わるにやってくる


ふと

もしかしたら

私に気を遣ってる?

と思い

仲良くなった看護師さんに聞いてみたら

私がショックのあまり

泣いてないか?

って心配してくれていたらしい


だから

大丈夫よ

飛び降りたりしないし

本当に大丈夫っ


て笑って言えた


きっと

あのおばさんのおかげ


それが今も続いてるんだと思う

病気で辛くても笑っていれるのは

おばさんの影響だね


諦めたら終わりだから


これからも

笑って闘います



退院後も

交流はありましたが

薬局のおばさまも亡くなってしまい

夢の国のお菓子のパッケージを作ってた

おばさんは

ご主人の転勤で会えない距離になりましたが

5月になるとメールがくる



感謝して

笑顔で病と向き合っていこーっ



あっ

この何度も繰り返していた腎盂腎炎

その後 今 通っている県立の病院に転院し

巨大な卵巣嚢腫が内臓を圧迫し

尿が逆流している事が原因とわかり

卵巣嚢腫の手術をしたら治りました